声優への道
───声優になられたきっかけからお話いただけますか?
私は、全て友達がきっかけですね。とっても不純ですけれど、中学生の時、演劇部の友達に廃部寸前だから名前を貸して欲しいと言われて入部し、高校でも全く違う部に入っていたのに友達に誘われて演劇部に入部しました。高校を卒業したら大学に行こうと思っていましたが、友達が声優の専門学校へ行くと言いだしたので、じゃあ私も行こうかなと・・・(笑)
でも、演劇のこととか知らない所から始まったので、あとからの勉強が大変でした。
専門学校に2年通って、今の事務所(賢プロダクション)の養成所に通っても勉強が足りないと思い、元々シェイクスピアが好きだったので、劇団シェイクスピアシアターに入団したんです。
───御自身でも楽しさを見つけて、勉強なさったのですね。他には何かお稽古事はされているのですか?
5年くらい前から日本舞踊を始めました。歌もやっていたのですが、今はお休みしています。色々とやり始めてしまうと、どれも中途半端になってしまうので今は日本舞踊に集中しています。肉体訓練はしておきたいので、ヨガや加圧トレーニングをしています。やっぱり舞台が好きなので、しっかりと体力をつけておきたいんです。
───初めて役を貰った時、初めて主役になった時のことをお聞かせください
まだ賢プロの養成所にいた頃に『ジーンシャフト』というアニメのオーディションを受けてソフィアというレギュラーの役をいただきました。
ところが当日に台本いただいて当日に通し見(アフレコする作品の映像のチェック)という現場だったので、もう何をしていいのかわからなくて、テストが始まっても座ってました(笑)しかもこの役は説明セリフの多い役で、1話から沢山喋っていたので、ずっと緊張していました。緊張しすぎて動けなかったんです。回を重ねても、走るアドリブすらままならなかったですね。当時のビデオを見ると、スゴいアドリブが聞けると思います(笑)
吹替えだと『フリークス学園』※ という作品で、学校のヒロインみたいな可愛い女の子の役をいただき、家で声を録音して聞いたり、いろんな試行錯誤を重ねたけど、あらゆる失敗も繰り返していました。
でもこの時救いだったのは、学園ものだったので共演者が同世代ばかりで皆でワイワイやれたことです。
また一方で、初めて主役をいただいた『プリティ・プリンセス』という作品では、大先輩ばかりの現場でした。大先輩に囲まれるととても緊張しますが、今となってはとても良い経験ができました。私は大先輩と一緒に作品を作っていく機会に恵まれたギリギリの世代だと思います。
スタジオで大先輩に「なんでそんなにヘタクソなんだ!相手のセリフを聞きなさい!」と叱咤激励されたりと、厳しいけれど温かい現場が沢山ありました。大失敗しても、先輩達がガッチリと支えてくださったので立ち直れたんです。
ある外画作品の見学に入れていただいたのも、ボス(内海賢二氏)と藤原さん(藤原啓治氏)が出演されていた『はじめの一歩』を見学させていただいた時に、ボスがマネージャーに「藤原の次の現場は外画だから連れてってやれよ」という一言がきっかけでした。先輩方の存在が本当にありがたいものでした。
───そのボスの内海賢二さんからいただいた、心に残っているアドバイスはありますか?
私が専門学校生時代に内海さんが学校講演に来てくださった時におっしゃった、「天才は1パーセントの才能と99パーセントの努力で成り立っている。だから努力をしないと仕事は来ない。ただし、100パーセントの努力じゃ天才にはなれないのも事実だ」
という言葉が忘れられないです。
努力をすることは大事だけど、そこにちょっとでも才能がないと開花させることができないとおっしゃったのがとても印象に残っています。とにかく努力しないといけないと思いました。
私は“努力”とか“下積み”とか、“打たれても這い上がる”というのが好きなので、その言葉は今でも大切にしています。