俳優、声優が所属している日本俳優連合(以後:日俳連)の外画動画部会員に配布されています機関誌『Voice』では毎号、活躍され輝いていらっしゃる先輩方をクローズアップして、普段スタジオではなかなかお聞きできないお話をうかがっています。 今回は、第2回声優アワード功労賞を受賞し、日俳連事業に創成期から積極的に活動いただいている野沢那智さんにお話をうかがいました。
役者 野沢那智 誕生秘話
───役者になられたきっかけをお教えください。
僕はね、役者になる気なんか全然なかったんですよ。
最初は舞台美術家になろうと思って若い頃の劇団四季の金森馨さんのもとで大道具作ってたの。でもそうしたらある時「お前発想は良いんだけど、絵は下手だなァ。辞めたほうがいいよ。今一番足りないのは舞台監督だから、舞台監督やれ」でそのまま舞台監督になって。
その後劇団七曜会に入ったんですけども、もちろん演出部ね。だけどその時、親分の髙城淳一さんが、「お前、役者やれ!」って。勉強になるかなと思ってしばらく舞台に立っているうちに、テレビの生ドラマの仕事が入ってきて「行ってこい」って言われてね。これが、いつも犯罪者少年Aの役。「はい、そこで女性を襲って!」って言われてもどうやっていいのかわからないし、親も観てるしさ(笑)
そんな風にとまどっていたら、さすがNHKだね、「まだ入団3ヶ月目でしかも演出部の研究生を出演させるなんぞトンでもない!」と大変なことになってさ。
とにかく、この役者仕事のアルバイトがどうしてもイヤでね、劇団に言ったの。
「ドラマだけは勘弁してくれませんか」
「じゃアテレコやってこい」
「なんですかそれ」
「ほら、最近外国人が日本語でしゃべってるだろ。アレだよ」
で行ったのが、『ハーバー・コマンド』っていう七曜会のユニットで、それが最初のアテレコ。
2年先輩の肝付兼太さんが「大丈夫だよ。俺、後ろで肩叩いてやるから」っておっしゃってね。
それでもずいぶんトラブル起こしてさ。一言しゃべって「あぁよかった。うまくいった」と思って安心して座ろうとした瞬間、「いけねぇ。もう一言あった!」って慌ててマイクの前に立ったその時、ちょうど自分がやる警官がアップになってたもんだから思わず聞いた英語そのままを叫んじゃったんだよね。「ザ・カー!」って!(一同笑い)
他にも肝付さんが肩叩いてくれたのに、思わず「何?」って言っちゃったりね。(大爆笑)
そんな感じで、アテレコはNG続出でした。
役との出会い
───そんなNG続出で始まった役者生活を続けられていらしたのはどうしてでしょうか。
その後俳協に移ったんだけど、もちろん演出をやりたかったし、63年に劇団薔薇座も設立したからアテレコはもう辞めよう、もう辞めようと思ってね。思い切って事務所に相談したら、「いいよ。でも最後に一つだけ、これ愛川欽也さんに決まってるんだけど、一応このオーディションだけ行ってきて」っていわれて。
それでまァ、辞めるんだからと思ってね、そのスタジオに行ったんですよ。スタジオに入ったらミキサールームにいたおじさんがずーっとこっち見ててね。30秒くらい。「よし、お前でやろう! 決めた!」って。「えっ、僕は辞めようと…」って言いたかったけど俳協の名前で来ちゃってるし。で、とりあえずしゃべってみろってことになって。
デビッド・マッカラムっていう役者の吹替えなんだけど、その頃は外国人はみんな低音だっていうのがあったからみんな低い声でやっててね。で僕は、「この人は低音じゃできないよな。若くてひょろひょろしてるし」って思って、頭のてっぺんから出るような声でしゃべったわけ。
そうしたら「それでいこう」って決まっちゃって。「おい、毎週この声でねぇよ俺」って思わずいっちゃった。(笑)
それで結局辞めるわけにもいかなくなって、そうしたら5年くらい続いちゃったんだ。これが『ナポレオン・ソロ』のイリヤ・クリアキン役。
───その役の思い出話などお聞かせください。
この作品は厳しかったですよ。滝山さんっていう大ディレクターでしたけどね。普通は誰かがトチッたところって、後で抜き録りするでしょ? でも彼は何にも言わない。終わると「はい、自覚症状のあるやつ」って言われて、みんな自分で自己申告するんです。先輩たちはみんな録り直してもらってるからね、「僕も」って言ったら、「おまえの録り直すんだったら、今までの全部録り直しだよ。オンエアーで恥かけ!」って。5年間一度も録り直してくれなかった。
新人なんかに抜き録りなんて甘ったれたことしてたらロクなモンになんないって考えだったらしいんですよ。まぁプロの演出家がOK出すんだから大丈夫なんだろうなって思ってOA観たら、はっきりロレってるの。(笑) 今じゃそんなこと許されないけどね。
そういえばこの仕事の時、僕はスタジオから3回飛び出しましたよ。台本叩きつけて。「こんなものやってられるか!!」ってね。
その度に矢島正明さんが追っかけてきてくださって。
四谷のベンチで2人で座って、なぐさめられて一緒にスタジオに帰るわけ。
スタジオっていうのは飛び出す時はカッコイイんですよ。でも戻るときはみっともないんですよね。大御所の大先輩たちがぞろっといるわけで、その中に戻っていくと皆ニヤニヤ。そんな時代でした。