高橋剛氏(ディレクター)
『刑事ナッシュ・ブリッジス』という作品を6シーズンご一緒にやらせていただき、それがご縁で親しくさせて頂きました。シーズンの途中で同じ大学の先輩であることがわかったのですが、その時野沢さんが「本当は大学中退なんだけど、有名になったから名誉卒業生という事になっているらしい(笑)」と、そんなお話でスタジオ内を盛り上げて下さった収録現場でした。今でもスタジオに行けばお会いできる様な、そんな感覚があるので、今日が自分の気持ちの中でひとつの区切りになるのかなと思っています。
戸田恵子氏(俳優)
売れない歌手時代に研究生として薔薇座に入れて頂いて、お芝居の手解きをしてもらって、大変厳しく厳しく厳しく育てて頂きました。
稽古に明け暮れた劇団時代……。それしか思い出せないです。
上手くはなっていないのですが、本当に強い女優になった事には心から感謝しております。私の中では、野沢さんが亡くなったとは全く認識しておりません。今もどこかで見守って下さっていて、ダメ出しをされている様な気分のまま、これからも過ごしていたいと思っております。
現実を言えば、感謝。この二文字しかありません。
私のお芝居の全ては劇団薔薇座にあって、私のお芝居は野沢流である。
こう思っております。ありがとうございました。
羽佐間道夫氏(俳優)
アラン・ドロンとディーン・マーティンが共演する『テキサス』という映画で一緒だったのですけれど、その作品でなっちゃんと僕は、枠から外れたアテレコを演ったと思っています。吹き替えというか、二人で漫才やってるみたいでした。二人とも“外れてる”という共通点を持っているのを確認したことが思い出ですね。
福田信昭氏(俳優)
那智さんと41年前に初めてお会いしたその日、なんとご自宅に泊めてくださって、朝までお芝居の話をしてくださいました。
さらに当時烏森口にあった稽古場も見せていただいたり、実際の番組の収録現場にも行かさせて下ったのですが……。
すみません!自分は薔薇座には行かずに青年座に行ってしまいました!いまここで謝りたいと思います。
那智さんが学校を作られる時に「手伝ってくれ」と言われて、自分ももちろんですが、講師をご紹介させていただいたりして、本当に少しではありますがご恩返しができたかなと、思っております。
たくさんのことを教えていただきました、ありがとうございました。
矢島正明氏(俳優)
なっちゃんは、とにかく熱い人でしたからね。言葉が悪いかもしれませんが、エキセントリックといいますか。薔薇座で突然方向転換をしたり。しかし、その方向転換したジャンルに全ての情熱を注ぎ込む、熱い人です。僕にはない所ですから、彼にはいつも刺激を受けていました。
なっちゃんとの思い出と言えば、『パックインミュージック』ですね。この番組が始まった時、実は僕は土曜日担当で彼は木曜日担当だったのですが、たちまちの内に「なっちゃん・ちゃこちゃん」が人気を得て、全て彼に持っていかれてしまいました(笑)。僕は、なっちゃんにはいつも負けている人生でありまして(笑)。それもまた、過ぎてしまえば懐かしい思い出です。
山寺宏一氏(俳優)
那智さんは本当にあこがれの方で、ラジオも、もちろん洋画の吹替えもアニメもナレーションも全てやられてて、僕がやりたいと思っていることを先に、そして全部を極められていらっしゃってて、僕がいくらがんばっても追いつかないなと普段から思っていたのですけれど……。
以前『ゴッドファーザー』のアル・パチーノを一度だけ演らせて頂いたことがあって、もう、それこそ誰もが「アル・パチーノといえば那智さん」と思ってらっしゃるのに、風の噂で僕が一回演ったというのをお聞きになったらしく、ある時現場でご一緒させていただいた時に「お前なら許す」って言っていただいて、本当に涙が出るほどうれしかったです。
本当に認めて下さっていたかどうかはわかりませんが、「がんばれよ」とおっしゃって下さいました。これは一生忘れられない言葉です。
まだまだ全然追いつけませんが、少しでも那智さんに近づけるように僕もがんばっていきたいと思います。
ご冥福をお祈り致します。
若山弦蔵氏(俳優)
彼とは殆んど接点を持てませんでした。僕が『ナポレオン・ソロ』で次週予告を担当していた事を除いては、アテレコをやる機会も無かったし、ラジオドラマをやる機会も無かったのです。そんな少ない機会でも、僕にとっては非常に気になる存在でしたので、接点を持てなかった事を、今とても残念に思っています。
ご協力いただいた皆様、心からのメッセージをありがとうございました。