飯森盛良のふきカエ考古学

iimori_reviewtop500×150

少年たちの一夏の冒険を描くロードムービー『動物と子供たちの詩』ふきカエ版、これスタンドバイミー超えてないかい!?の巻

飯森盛良のふきカエ考古学

© 1971, renewed 1999 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

今回ご紹介する『動物と子供たちの詩』は大変素晴らしい、であるにもかかわらず未DVD化の見づらい作品でして、こういう商売をしていて、皆様あまりご存知ないんだけれど隠れた名作と言える作品をお茶の間にお届けできるということは、実にTV映画屋冥利に尽きます。

今回、第1部【ネタバレ前まで編】と、第2部【ネタバレ編】の2パートに分けます。未見の方も多いと思いますが第1部はぜひこのままご笑読ください。ただ、未見の方は絶対に第2部は見る前にはお読みにならないでください。この映画はネタバレで台無しになるタイプの映画です。鑑賞後にあらためてお読みいただけたら嬉しいです。

それと営業妨害するつもりはないのですが、各有名映画データベースサイトなどでの本作の情報は、「ブルース・ウィリスは死んでた」級の致命的ネタバレをしまくってますので、検索する際はご注意ください。

ふきカエ版は、台本の表紙によれば、フジテレビ「夜のロードショー」なる枠で、昭和53年11月26日(日)に放送された、とのことです。ただし、ふきカエ台本にあるシーンが本編からはカットされているので、今回ウチが入手できたのは、再放送時のカット版のようです。残念!

■第1部【ネタバレ前まで編】

「米国映画伝統のサマーキャンプもの。痛快わんぱく物語や初体験性春映画が多い中、名匠スタンリー・クレイマーが手がけた本作は、美しくも哀しい傑作こども映画に。カーペンターズによる同名のテーマ曲も切なく響く。」

という作品。“初体験性春映画”なんて書いちゃうのがワタクシの悪い癖。こういう下衆い品性には怒る人もいるでしょうなぁ…ほんとすいません。でも書いちゃいますね。具体的には以前ウチで放送した未DVD化激レア映画、テイタム・オニールvsクリスティ・マクニコルのサマーキャンプでの処女喪失競争を描いた『リトル・ダーリング』あたりを思い浮かべながら言っています。過去にウチでは柏原芳恵vs冨永みーな版でふきカエでもやりました。

一方の、“痛快わんぱく物語”というのは、『ミートボール』シリーズらへんをイメージして言ってます。いま「ミートボール 映画」でググると『くもりときどきミートボール』の方がヒットしちゃって隔世の感があるのですが、ただの『ミートボール』もまた傑作ですぞ?アイヴァン・ライトマン監督×ビル・マーレイの名コンビ作で、ビル・マーレイの映画デビュー作じゃなかったかな?いつものC調“かったり〜”演技テンションでキャンプ指導員をダルそうにやりながら、最後はちゃんと子供の成長を促す名指導をする。

それより何より、実は日本人に一番有名なサマーキャンプ映画といえば『13日の金曜日』でしょうな。もっとも子供ではなく指導員たちの話ですが。まぁ、そんなこんな、まさに「米国映画伝統のサマーキャンプもの」と言っていいのであります。タイトル挙げていったら枚挙にいとまがありません。

夏休みの2〜3ヶ月(アメリカは長い!)のあいだ中ずっと、共働き家庭で子供だけ家に置いとく訳にはいかないとか、子供に一回り大きくなって帰ってきてほしいとかで、アメリカではニーズがあるのでしょうきっと。長い場合は8週間とかやるらしい。最近では日本にもあるみたいですね。アメリカの情報がヒットするかと思って「サマーキャンプ」とググったら日本のサイトが上位にいっぱい出てきて驚きました。

サマーキャンプ映画には夏らしさが溢れている。少年時代の夏の日の思い出が蘇ったりもする。そう、夏にこそ見たいジャンルなのです。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

で本題。本作『動物と子供たちの詩』、1971年のアメリカ映画。「名匠スタンリー・クレイマーが手がけた本作は、美しくも哀しい傑作こども映画に」と書いた通りでありまして、こいつは切ない!

まずアバンタイトル(タイトルが出る前の導入部)。現代の西部の荒野で、なぜか6人の少年たちが柵の中にいる。子供たちは「ポックリポックリ」みたく動物歩きのマネをしている。囲いのゲートが開いて外に放たれると、そこにはバンダナで覆面したテンガロンハットにウエスタン・ファッションの大人たちが、一列に並び猟銃を引っさげて待ち受けている。そして構え、スコープを覗き、一斉射撃!! 撃ち殺される子供たち。最後の1人はケバいセクシー熟女に狙いを付けられ「ママーっっ!!」とその熟女に向かって叫ぶのと同時に射殺されます。撃ったの母親なのか!?

ガバっ!!っと自分の叫び声で跳び起きる。そう、これはもちろん夢。サマーキャンプのバンガローのベッドで、その少年はブリーフ一丁で寝ていたのです。叫び声のせいで他のルームメイトたちも目が覚めてしまった。全員もっこりブリーフ一丁でベッドから抜け出てくる。そんな格好のまま、ショタBLホモソーシャルのほのかな香りを漂わせつつ(これ本作の隠し味)、ヒソヒソ密談を始めます。この夜更けにどこかにコッソリ出かけようと。大人の指導員は熟睡していて起きない。彼らは計5人。1人いないぞ、ということに誰かが気づくので本来6人。そこに、そのいなかった張本人が戻ってきます。彼だけ服を着ている。どこに行ってたか聞かれ「みんなビビるだろうと思ってね。1人でやるつもりさ」と傲然と言い放つ。やるって、何を?

「みんな一緒に行こう。5分後、馬に乗って出発するぞ」

と、例のママーっっ!!と叫んだリーダー格の少年が命令口調で言い、全員が服を着ます。みんなウエスタン・ファッションです。

馬にまたがりしばらく行くとキャンプ場のゲートに出る。「ボックス・キャニオン・ボーイズ・キャンプ〜お宅の“ボーイ”を送ってくれたら“カウボーイ”にして送り返してさしあげます」という看板が掲げられている。ここはアリゾナ。西部のムードが売りのキャンプ場なのです。その看板の下で、ママーっっ!!リーダーが言います。

リーダー「OK、みんな止まれ。止まれェ!よ〜しこれが最後のチャンスだ。ここで帰らないなら、最後まで突っ走るぞ!」
少年1「もし成功したら、みんなに認めてもらえるんだ」
少年2「もしも成功したらね…」
少年3「道は遠いぞ…」
少年4「なにグズグズしてんだよ!」

ここで実は、再放送ふきカエ版はカットをしています。リーダーが「途中で泣きごとを言うなよ」と、これから俺たちがやろうとしていることはマジでヤバいんだからな、やめるなら今だぞ、みたいな念押しをして、他のメンバーから、そのことは昼間さんざん話し合ったじゃないか、などと言い返される二言三言の会話が、本当はさらに続くのです。さらに、何のためにキャンプ場をコッソリ抜け出そうとしているのか、彼らの目的が、この冒頭の段階でセリフにてハッキリ明言されもします。初回放送時ふきカエ台本にもそのセリフはありますから、再放送時にカットされたのでしょう。結果的に、映画を見続けてもかなり終盤の方まで彼らの目的は判然としません。これは怪我の功名!おかげで終盤まで興味が持続するのです。ふきカエ版というか地上波再放送カット版の方が、編集が結果的に良くなっちゃってるケース。スタンリー・クレイマーには悪いんですけど断然このカット版の方がお薦めです。

さて、その途中の会話がカットされているので、少年4「なにグズグズしてんだよ!」の直後に、このシーン最後のセリフ

リーダー「よーしいいか、あとは前進あるのみだな!?」

が編集で強引につなげられています。その問いかけに対し、無言の賛意を示す一同。衆議一決、「ヒャッハ〜」とみんなで奇声を上げながら拍車をかけ駈歩で馬を駆ります。そこでテーマ曲のピアノイントロが流れだし、映像がスローモーションになって、カレン・カーペンターが同名主題歌を優しく歌い始めるのです。この曲は、動物と子供たちはこの世界ではとても非力な存在なので、慈しんであげましょう、でも世界は残酷だけどね…といったようなことを歌っており、それをまたカレンという、生きづらい人生を若くして不器用に終えたか弱き天才が慈愛深げに歌うことによって、ある種の“重さ”が加わります。繊細すぎる、優しすぎる、美しすぎる、鳥肌もんの名バラードです。

スタンリー・クレイマー監督はこの映画のためにカーペンターズに曲を発注。本作にアテ書きされた歌なのです。だから歌詞が映画のメッセージそのものズバリを言語化している。訳詞をここに書くわけにいきませんが、ぜひ各自ググって探してみてください。カーペンターズのディスコグラフィの中でも屈指の名曲だと個人的には思います。言うまでもなく1971年度アカデミー歌曲賞にノミネートされました。

閑話休題。あらすじに戻りましょう。この男子6人組、例のリーダー格のママーっっ!!と叫んだ奴がミリヲタで、その他、自動車泥棒(CV:古川登志夫)、デブ(CV:古谷徹)、過保護虚弱夜尿症、常時ケンカ兄弟という顔ぶれ。全員が落ちこぼれです。そもそも親も持て余し、家を厄介払いされたような形でこのサマーキャンプに放り込まれた問題児ばかり。それがよりによって相部屋になってしまった。

そんな彼らが、夜更けにキャンプ場を抜け出してどこかにコッソリ行こうとしている。どこへ?なんのために?それがついに明かされるのは物語も終盤ですが、まずはこのタイトルバックが明けると、時計の針がキャンプ初日ぐらいにまで巻き戻り、そもそもこの夏、彼らのキャンプ生活はどのようなものだったのか?に、いったん話がさかのぼります。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

まぁ、一言で言ってそれは「悲惨」の一語なんですな。このキャンプではバンガローごとに競わせ、綱引きだ乗馬だアーチェリーだ草野球だカヌーだと毎日戦わせて、総合得点でバンガローごとに毎週順位をつけている。競い合ってキッチリ勝ち負けつけて切磋琢磨しろ、この世は厳しい競争社会なんだ、という、アメリカ的と言えばアメリカ的な教育哲学に貫かれたサマーキャンプなのです。
飯森盛良のふきカエ考古学

キャンプの校長は結果発表の式で、H.E.ポール・ドラモンドの詩を子供たちに読み聞かせます。「題は『心の持ち方』。この詩が少年キャンプの全てを語っている」と紹介しながら。それは、こんな内容。

「君が負けたと思ったら負けだ。負けたと思わなければ負けじゃない。どうしても勝ちたいと思って勝てなかったら、それは君の思いが足りなかったからだ。この世では成功の第一歩は諸君の意志に始まるのだ。全ては心の持ち方次第。一歩も走らずしてすでにレースの勝負は決まり、仕事を始める前、臆病者はすでに失敗している。望みが大きければ君は前進し、望みが小さければ君は脱落する。できると思えば必ず叶う。全ては心の持ち方次第。人生の勝利は常に強い者・速い者に輝くとは限らない。勝利は、勝利をつかもうとする意志と努力のある者に輝く。(中略) 人に勝ると思えば人に勝る。少年よ、常に高きを望め。常に自分の心を信じよ。勝利は必ず君のものとなる。(中略) 行く道は険しく、人生は厳しい。だが諸君は鉄のように強く逞しい。勝利を目指し死力を尽くして戦え。だがスポーツマンシップを忘れるな。諸君の旗を高く掲げて進め。ボックス・キャニオン・キャンプの少年たちよ。できる。やるのだ!やらねばならぬ!! 全ては心の持ち方次第だ」

実にアメリカ的ですなぁ、悪い意味で!まるで、勝ちに行く根性のない奴はダメだ、意志の弱い奴は人生の負け犬だ、とでも言わんばかり。でも、競争で勝つことに興味ない人だって結構いませんかね?それが即ダメなの?心静かに本読んだり絵描いたいすることが好きだと悪いのか?(過保護虚弱夜尿症少年がそういうタイプ)

このポエム朗読シーンは、バックで哀愁漂うウエスタン調ハーモニカソロのBGMが流れておりまして、耳からの印象だけだと、何か“良いこと言ってる”げなムードが漂いながら長々と続き、そのうち明るく楽しい“痛快わんぱくモノ”『ミートボール』に近いような風情も画面からは漂ってくるのですが、その間中ずっと、主人公6人組がありとあらゆる競技で負け続けるさまが映し出されていきます。この詩が一瞬“良いこと言ってる”ようで、意外と残酷にも聞こえるのです。

作り手は、こうした考え方を批判しているのではないでしょうか。正論にも聞こえる根性論。子供たちの自立の精神と壮健な肉体をつちかうサマーキャンプ。しかし見方を変えれば、無用の競争を課して勝者と敗者を意図的に作り出し、勝者を褒めそやす一方で敗者を貶めているだけとも言えます。この映画はそれを敗者側の視点に立って批判的に描いているのではないかと思うのです。

その根拠。まず詩の作者「H.E.ポール・ドラモンド」なる人物。ふきカエ版では「少年キャンプの大先輩」として、字幕版では「キャンプの創始者」として紹介されますが、いくらH.E.Paul Drummondで検索しても、またはポエムのタイトル『心の持ち方』は原語だとstate of mindなのでH.E.Paul Drummond+state of mindで検索しても、1件たりともヒットしません。これって架空の人物なのでは?デキない子供にとっては残酷すぎるキャンプ場を作ってしまった張本人。ただし本人的に悪意はまったくない。それが教育上良い事だと信じて疑わない善意の人が、良かれと思って不善を為す。これはアメリカ社会の無慈悲な一側面の象徴なのでは?まぁ、日本でもヨットスクールの校長とか昔いましたけどね。

それにこのポール・ドラモンドの詩、原作小説でも一言も出てきません。やはりこれ、映画の作り手たち、スタンリー・クレイマーその人か、TV畑で映画はこれしか書いてないらしい謎の脚本家マック・ベノフなる人物が、批判の対象として設置した、架空の“悪”なのではないのでしょうか?

あと重要な伏線として、このバンガロー対抗チャンピオンシップの優勝トロフィーは、なんと生首なんです!どういうセンスしてんだよおめーらよー!!!!としか言い様がありません。ま、剥製の頭、生じゃなくて干し首ですけどね。よく外国映画を見ていると、ヘラジカなどの頭部の剥製がロッジの壁とかに飾ってありますよね?いわゆるカントリーベアジャンボリーbyハウス食品にあるようなやつ。それをトロフィー代わりに、1等バッファローの首、以下、2位クーガーの首、3位クマの首、4位山猫の首、5位カモシカの首と、成績の良かったバンガローのリーダー児童にゴロンっゴロンっと手渡していく。そもそもが英語でこの首の剥製のことはHunting trophyと言います。これも、林間学校みたいなキャンプでのトロフィーとしては、ワイルドだろぉ?ってことで一見ありえそうですけど、よくよく考えると悪趣味。それを優勝カップみたく手渡しって…動物のいのち尊重する気ないのかよ!? 作り手はこの点も批判的に描いているのは明らか。なぜなら、ふきカエではカットされているエンドロールですが、ノーカット字幕版でそこ確認すると、この首の剥製が次々と静止画で画面いっぱいに映し出されるからです。よく見れば命の抜けた死体の顔をしてる。そこにカーペンターズのあの同名主題歌がまた流れる。物語の流れの中に出てくるのではなくて、そうやって改めてアップで見せつけられると、これはもうグロテスク以外の何ものでもない。作り手は明らかに糾弾しています。
飯森盛良のふきカエ考古学

なお、ブービー賞だけは首の剥製ではなくて、なぜか尿瓶というかオマル。もちろん主人公たちチームが尿瓶賞に輝きます。他のグループは嘲笑って囃し立てる。きったねえ、エンガッチョ、と。でも、どうですか?首の剥製と空の尿瓶と、手に取るのにどっちの方がエンガッチョ感ありますかねえ?

それと、アメリカはチャンスの国だ、敗者復活の機会が全員に平等に与えられてる社会なんだ、どうだありがたく思え、ということで、下位チームも、上位チームの剥製を奪えば(こっそり盗み出すとか)それを自分たちのものにできる、それで順位を逆転できる、要はガッツの問題だ、「全ては心の持ち方次第」というルールが、このキャンプにはあります。敗者に永久に競争を継続させて、それでも勝てないなら完全に救いようがない負け犬確定だな、とレッテルを貼る。勝者も、いちど勝っただけでは枕を高くして寝られず、永久に闘争状態を強いられる。実力主義?競争社会?なんだか、そんなに良い社会とも思えませんなぁ。そして、主人公6人組もこのリベンジマッチに挑むのですが…。

あともう一つ、重要な伏線がこのシークェンスには仕込まれています。競技の種目には射撃もある。子供にライフルを持たせて撃たせる。そこで指導員はこう言って指導します。

「銃ってのは最高の友達だ。正しい使い方を身につけりゃあ命を守る味方となる。銃はまた敵に本当のことを吐かせる鬼検事にもなる。しかし扱い方のコツを心得りゃ、銃ってのは一緒に遊べる楽しいヤツだ」

銃が友達って…ボールは友達って話なら聞いたことありますけど。これまたものすごくアメリカ的な。もちろん悪い意味で。「敵に本当のことを吐かせる鬼検事にもなる」って、もう人に突きつけて脅迫や拷問に使う気満々だな!しかもそれ子供に教え込むか普通?この「あんたそれ犯罪だぞ!?」ということに「何か問題でも?」とあっけらかんとしている人たちが、物語の終盤、とんでもない事態を引き起こすことになるのですが…ここでのセリフはその伏線。これも、アメリカ社会における銃器に対するありふれた認識のようでいて、よくよく考えるとその常識ヤバくない?それきっと事件事故のもとだと思うよ!?という、これも“悪”として批判してますな。みんな同じパターンです(まあワタクシ個人はガンマニアなんですけどね。お恥ずかしい)。

このセリフを言う指導員。今だったら確実にトランプさんの熱烈な支持者になっていそうなタイプの方で、池田勝さんがトラッシュ感あふれるガラガラのダミ声で大熱演されています。後半、本作でもっとも重要な長ゼリフもこのトラッシュが吐くのですが、そのことには第2部で触れましょう。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

さて。キャンプ初日から彼ら6人はオールタイム負け組として他の部屋の子供たちに馬鹿にされてきた。時おり回想シーンとして挿入される家庭でも、各人がそれぞれ問題を抱えている。例えば前出の過保護虚弱夜尿症少年は、ナヨっちいので継父から目の敵にされている。夫婦喧嘩で継父は息子を甘やかす実母にこうがなり立てます。

「あの子はもう14だ、それでまだオネショをしてる。あぁ心配するな、キャンプを紹介してくれる奴には話してない。他の子供たちに追い出されちまうかもしれないからね。(中略)今のうちになんとかしろ!スカートを履いて化粧して歩くようになってからじゃ、もう手遅れなんだぞ!」

今だったら手遅れってことはなくて、別にそれはそれで一向にいいですし、競争が嫌い、絵を描いたり読書したりするのが好きというのも全く問題ない。が、いかんせん1971年なので、LGBTへの理解とかダイバーシティという概念はまるでなく、遅れてるのです。

ママーッ!!と叫んだミリヲタリーダー、彼のところは母子家庭で、母親は息子なんかそっちのけ、男とヤリたくて仕方ない。化粧して着飾って若作りして、今宵も若い恋人とおデート。まぁ、それもまた別に一向に構わないんですけど、困ったことに息子は思春期なのです。思春期の子供が発情中の親のお盛んな姿を見せつけられる…これはキツい!母親は鏡に向かって厚化粧しながら「ホントのこと言ってェ❤︎ママはまだ綺麗?」なんて息子に聞くんですから、息子としてはたまったもんじゃない。息子は冷笑的かつ憤懣やるかたない感じで答えます。

息子「長いことないね。俺はもうすぐ16だよ。そこんとこ忘れないで!1年たてば17んなる。17の誕生日に何をするか知ってる?」
母親「何するのォ?」
息子「海兵隊に入るのさ。書類に両親がサインさえすれば入れるんだよ!パパはする!!」
母親「アタシはしませんからね!」
息子「絶対にサインするさ!! しなかったら何をするか知ってる?でっかい看板つくって、ベイヨットクラブの前でデモ行進するのさ、『俺のお袋は42歳です』って大きく書いてね!」
母親「…殺してやるから!」

…これは母親に射殺される悪夢も見るわけだ。海兵隊に入りたい、ママが発散する発情したメスの臭いから一番遠い漢の世界に逃れたい、という気持ちも解ります。声は三景啓司さんという、すいません不勉強でこの方は存じ上げないのですが、自分たち6人組の不甲斐なさが腹立たしくて、いっぱいいっぱいの、暑苦しい、未熟なリーダー、常にキレ気味の松岡修造みたいな感じを、巧みに出されています。

あとは常時ケンカ兄弟。弟は両親からエコヒイキされて自己主張が強く、かつ、幼児性が抜けてないので起きてる時も枕を抱えていないとパニックになる。そんな甘やかされた弟のことを、本気で死んで欲しいと願っているほどに兄は嫌悪しており、弟がムカつくと壁に頭を打ち付ける自傷行為に走る。もう、かなりヤバいところまで行っちゃっている兄弟なのです。

そして車泥棒(CV:古川登志夫)。6人の中ではサブリーダー格でニヒルで、キャラまんまカイさんです。そう、俺は軟弱者さね、腹を立てるほどの人間じゃないのさ、的な。以降「カイさん」と呼びましょう。証券マンの息子で父親は仕事人間。子供のことなんかまったく顧みない。息子が自動車泥棒をして保釈されお説教中でも、株価が上がると電話とって「売りだ!」とか言ってそっちのけ。儲かった儲かったとホクホク顔で、その後またキリッと怒り顔に戻してお説教再開、という、子供どうでもいい人。あまり人の親になんかなるべき人間じゃないですな。これは子供グレますわ。

最後がデブ(CV:古谷徹)。古谷さん起用も「お!オレ世代向け」って嬉しさありますけど(ふきカエ初回放送はファーストガンダムの前年ですな)、このデブのお父さん役をやっている今西正男さんが、これぞTHE 昭和の名人芸!ふきカエ的な本作最大の見どころ(聞きどころ)としてオススメします。このお父さん、儲かってる芸人さんなのですが、キャンプ場までロールスロイスで乗り付けてきて、葉巻くわえてデカいツラして肩で風切って、金を派手にバラまき、胴間声でがなり立ててガチャガチャその場を引っかき回して、持ちネタのワンフレーズギャグを頼まれもしないのに連呼しまくったら、嵐のように去って行く、という典型的ガハハおやじ。息子はいつもこの父親の前では萎縮しているのです。このガハハおやじを今西正男さん、ものすごいダミ声で、なぜかめちゃくちゃ巻き舌の江戸弁でアテられているのですが、この「江戸っ子風ふきカエ」ってのは血のかよった古き良き70年代TV洋画劇場の懐かしきぬくもり。80年代以降はあまり聞きませんが、必聴です。
飯森盛良のふきカエ考古学
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

さて、このように各人の家庭の事情やサマーキャンプでの最初の頃のシンドい出来事が回想シーンで頻繁に挟まれながら、そして、さらに、時おり1秒ほどの、銃声とともに動物が射殺される謎のインサートカットが差し挟まれながら、物語は、夜、馬を駆ってキャンプ場を抜け出した落ちこぼれ6人組が一路どこかを目指す、というタイムラインをたどっていきます。まず、日の出前に早くも馬が潰れる。そこで馬を原野に放ち、町まで下りて行って車を盗もうという話になります。

最初は戦後アメリカ黄金期のシンボルであるキャデラックを盗もうとする。しかし子供だけでこんなの乗り回していたら目立ちすぎてすぐパクられそうということで、自動車泥棒の達人カイさんがオンボロトラックを調達してくるのですが、

①それが廃車寸前の古いポンコツであるという点
②それは害虫駆除会社の業務用車だという点
③その車体には、ひっくり返って死んじゃってる、人間にとって役に立たない、むしろ人間からしたら不快な生物であるゴキブリ?オケラ?のマークが描かれていてるという点(オケラだってみんなみんな生きている友達なんだけどなぁ…)
④「PESTコントロールのヴィクトリー社 〜私達が皆殺しにします!〜」という宣伝文句まで書かれているという点

以上の点で、なんとも実に象徴的なのであります。「勝利」という虚しい名前の会社で、その事業内容はPESTのコントロールだと。PESTには「害虫」という意味と「問題児、はみ出し生徒」という意味がWである。それを殺して「勝利」って…。競争社会の負け組を乗せた車がそれなのです。それは、彼らを冷遇するアメリカそのものでしょう。ベトナム戦争泥沼化中の、人種対立ピーク期の、行き詰まってガタがきていた、1971年の古いアメリカ社会。彼らはアメリカ黄金時代の、ひずみも社会矛盾もバレる前の輝けるキャデラックには決して乗れないのです。

そのトラックで旅を続けるうちに、昼、さすがに腹が減ったと、西部の埃っぽい町にある寂れたダイナーに立ち寄ります。中には西部劇によく出てくる、サルーン(西部の酒場)で丸テーブル囲んでポーカーやってるガンマンたち、の蝋人形が田舎の秘宝館みたいに飾られている(造形が雑だったり傾いてたりでチープなんだこれがまた。そんなの過ぎ去った過去だ、あるいは作り物だ、と言わんばかりに)。店の奥ではカウボーイみたいな格好のヨタった2人組が、昼ひなかからビール呷ってビリヤードやってオダを上げている。そして子供たちに絡んでくるのです。これも、今だったら確実にトランプさん支持者であろう雰囲気の人たち。当時であれば、『イージー☆ライダー』のラスト、キャプテン・アメリカとデニス・ホッパーをトラックから銃撃してきた、あのゴリゴリのヘイト野郎どもとモロにカブります。飯森盛良のふきカエ考古学

つまりは本作、アメリカン・ニュー・シネマともリンクしてくる作品なのです。俺たちゃアメリカの古き良き伝統的価値観を継ぐ者であって、サヨクのヒッピーどもなんか撃ち殺しちまえ、なよなよしたガキどもは絡んで脅してカツアゲしてヤキ入れたれ、というそのトラッシュなお方たちは、揃いも揃ってカウボーイ気取り。ここでキャンプ場の看板に書かれていた文句「お宅の“ボーイ”を送ってくれたら“カウボーイ”にして送り返してさしあげます」を思い出してください。6人の凸凹少年たちはそんなカウボーイにはなれません。なりたくもないでしょう。弱者の辛さを痛いほど知っているので。

弱者に寄り添うこのヒューマンな視点は、スタンリー・クレイマー監督ならでは。黒人差別がまだ当たり前だった時代に、白人囚人と黒人囚人が手錠で繋がれたまま脱獄し、反目しながらもやがて絆が生まれていく1958年『手錠のまゝの脱獄』、人類史上最悪のナチによるヘイトクライムの裁判を描いた法廷ドラマ巨編、1961年『ニュールンベルグ裁判』、人種対立が高まりヘイトクライムが頻繁していた時代、白人娘が婚約者として黒人青年を実家の両親に紹介しに帰省してくる1967年の『招かれざる客』。いずれもウチのチャンネルで過去に放送しましたが、そういう、ある明確な政治的メッセージ性を持った作品を撮ってきた巨匠です。本作もその系譜に確実に連なる、彼のフィルモグラフィのかなり最後の方の作品でして、巨匠としての名声をすでに確立していた頃に撮られたものです。この後さらに数本を制作した後、クレイマーはシアトルに隠棲し、映画コラムニスト兼映画番組解説者として80年代から90年代は地方で活躍し、2001年に87歳で大往生しました。彼がこの映画で提起した問題は解決されることもなく、2017年の今、むしろ逆にぶり返しているようにも思えます。トランプ時代の今こそ、ヘイトが世界に再び満ち満ちてきた今こそ、この映画は再び輝きを放ち始めていると感じるのです。飯森盛良のふきカエ考古学

さて、2晩目でオンボロトラックもガス欠になりエンコしてしまいます。1971年当時のアメリカがガタガタで停止寸前だったのですから当然の成り行きです。したがって一行は最後は徒歩で目的地を目指します。彼らは何をしようとしているのか?それは、ある壮挙です。この壮挙を成し遂げることに、ミリヲタリーダーは意地になっている。大げさに言えば実存を懸けてやっている。彼はいささかヒステリックで独善的な嫌いはありますが、6人の中では一番マトモで、負け犬の中で一番勝ち組に近いポジションにいる。母親との断絶、その一方で、離婚し別居している父親のことは慕っている。その父親が海兵隊の士官なのです。だから彼も来年になったら海兵隊に入隊しようと考えている。この冒険の間中いつも海兵隊のヘルメットをかぶっています。その、父との面会シーンがふきカエ再放送版ではカットされていて、これは彼というキャラクターを理解する上でものすごく大切なシーンなので大変残念なのですが、とにかく、そういう将来の夢を描いている16歳の少年が、他の5人を強力にリードして、目的に向かって邁進するのです。居場所のない母の家、断ち切られた父との絆、立派な漢になりたいと願っているのに落伍者として周囲から見下され嘲笑われる屈辱の毎日…これを、これほどのことを成し遂げれば、俺たちは晴れて認められる。周囲からも認められるし、自分で自分を認められる。そういう思いでミッション・インポッシブルを己に課しているのです。

さあ、とうとう目的にたどり着きました!そこはどこなのか?彼らは何を成し遂げようとしているのか?それを明かす時がついにきたようです。いよいよ第2部【ネタバレ編】に突入することにしましょう。ただ、今回も例によってあんまりにも規格外に長くなりすぎてしまいましたな…。ふきカエル大作戦!!さんもさすがにご迷惑。この続きは、ウチのチャンネルのブログにて掲載します。とにかく映画を未見の方は、ここまでで読むの止めてください!この先、ブルース・ウィリスは実は死んでたって、実は現代のアーミッシュの村でしたって、書いちゃいますぞ!!

↓続きはザ・シネマのブログで公開
こちらから