- 2017.1.1
- コラム・キングダム
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広川太一郎版『鷲は舞いおりた』で案内する、ミリヲタ的法悦境の歩き方、の巻
前回ここの原稿を書いている最中に不意に思いついたジャストアイデアである、広川太一郎3作品特集、結局やれることに決定しましたよ。
まず前回連載で書いた、広川さんがMAXおちゃらけきってる『サンタモニカの週末』ですが、3月やります。でそれに先立つ1月には『鷲は舞いおりた』、2月は『スウォーム』という、主演マイケル・ケインをおふざけなし路線でそれぞれアテられた広川節名調子2作品を「3ヶ月連続 リスペクト広川太一郎」と題して無事お届けできる運びとなりましたので、ここにご報告いたします。
今回は中でも、1月にやる『鷲は舞いおりた』について語らせていただきましょう。たまには思うままミリヲタチックに!先学の諸兄には知ったかぶりのとんだお目汚し、半可通の浅学を恥じるばかり。穴があったら入れてみたい。
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『鷲は舞いおりた』、こいつは商売抜きに好きな映画なんですよ!なので今回もムダに長くなっちゃいそうだ…。
アバン・タイトルからして超かっこいい!大戦中の記録フィルムがまず流れます。スクリーン・サイズもここだけ大昔の映像なので一回り小さい。ナレーションは小林清志さんですよ!
「第二次大戦の後半、ナチス・ドイツのパラシュート部隊が、連合軍に捕らえられていたムッソリーニをイタリアから救出した。この奇襲作戦は全世界を唖然とさせたが、予想以上の大成功に酔ったヒトラーは、連合国でもっとも手強いリーダーを誘拐せよという、大胆不敵な命令を下した」
(翻訳:飯嶋永昭)
→からのぉ、画面がスコープサイズにビョ~ンと伸びてオープニングテーマ曲がスタート!作曲はラロ・シフリン!アガるアガる!『遠すぎた橋』とか、このパターンは渋いしアガるわ!歴史のお勉強にもなるしね♥
これってのは、専門用語でいう「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」のことですな。二次大戦も後期に入った1943年、イタリアの独裁者ムッソリーニがクーデター起こされて失脚し、イタリアの王様がその身柄を拘束してた時期があります。
彼を捕えてたのはイタリアの国家憲兵。警察と軍隊の中間のような準軍事組織です。余談ながら、これヨーロッパ映画を見る上では知っておくと理解が進みますよ?ヨーロッパ各国には警察と軍隊の中間的な組織が存在する。今度ヨーロッパ映画見ていて警察チックな制服の人が出てきたら、一般警察か国家憲兵か違いを気にしながら見るとプラスαで楽しいです(ヲタクな人はね。あと日本語訳ではただ「警察」と訳されちゃいますけどね)。
フランスだと「ジャンダルムリ」といって、要は田舎の警察です。パリではなく田舎舞台のフランス映画で警察が出てきたら大抵「GENDARMERIE」ってパトカーとか制服に書いてあったりします。
スペインでは「グアルディア・シビル」と呼ばれ、プラスチック製にしたナポレオンの三角帽×武家の折烏帽子÷2ような妙チキリンな帽子を被ってます。フランコ総統の独裁政権下では“権力の走狗”として暗躍しました。スペイン内戦を描いたスペイン映画などでチラチラ映ります。そうした映画を見る時には変な帽子の人を探してみましょう。
でイタリアです。「カラビニエリ」と呼ばれ、ド派手かつ華麗なる制服を着ております。正装では赤裏地の黒マントまでまとって、まるで王子様。帽子には「擲弾」という、今で言うところの手榴弾を図案化した金属製の帽章がつきます。その昔、近代の戦場において、敵に「擲弾」=手榴弾を投げつけるってのは、まず、かなり近づかなけりゃならないので度胸が要った。次に、よっぽど豪腕でないと遠くまで投げれない。ということで、漢の中の漢にしかできない荒事だったのです。その名残りで、丸い爆弾から炎がボーボー出てる「擲弾」をマークにしてるのは、エリート部隊の証。部隊名に「擲弾兵」と付くのもエリート部隊。と、いう法則があるってことを、ぜひ今日は覚えて帰ってください(ヲタっ気のある人はね)。フランスの「ジャンダルムリ」のマークも「擲弾」なんですよ?
すっかり脱線しちゃった。まだ映画本編に入ってもいないんですけどね。でもこのまま余談続けますスンマセン。このイタリア国家憲兵カラビニエリが、前独裁者ムッソリーニの身柄を確保してた。その身柄を奪還してイタリアを枢軸国サイドに引きとめておきたい、という、漫画のような考えをヒトラーその人がいたくお気に召しまして、立案・決行されたのがこの「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」なのであります。
ムッソリーニはカラビニエリが警備を固めている、ロープウェイじゃないと行けないような山のてっぺんのホテルに軟禁されており(そこなら身柄奪還されないだろうとイタリア側は踏んでいた)、そこにナチス特殊部隊がグライダー数機に分乗して強行着陸。エンジン付きのセスナ機みたいなのも1機ふくまれていて、それはムッソリーニを乗せて逃げる用。あとの特殊部隊の面々は、作戦成功後ムッソリーニを無事に送り出したらロープウェイで下山しテクテク歩いて脱出、乗ってきたグライダーは乗り捨て、という、なんとも大胆不敵な作戦でありました。
センターがオットー・スコルツェニー(後述)、右隣の黒いマフィアみたいなのがムッソリーニ、手前でしゃがんでるイタリア人っぽい濃い顔の三人組は…お前らカラビニエリじゃん!見張りじゃないのかよ!?なに襲撃されて身柄奪われてヘラヘラして一緒に記念写真に写り込んでんだよ!ま、こんな感じの人たちが監視役だったらしいっす
そんな嘘のような本当の作戦が成功しちゃったってんだから、歴史というやつは恐ろしいもんです。この作戦を指揮したのはオットー・スコルツェニー武装親衛隊大尉。この人はミリヲタの間では割と有名人でして、ミリタリーに興味を持つと中学2年ぐらいでみんなハマる必須科目的な豪傑です。まず、悪役にふさわしく、頰にゴッツい傷跡が走ってます。まるっきし漫画です。しかも任務中にこしらえた戦傷ではなくて、学生時分に決闘で剣で負ったっていうんですから本気で漫画です。
この漫画オジサン、「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」の後は、米軍からブンどった米陸軍の軍服や軍用車両で米兵に化けて、米軍の後方に潜入して撹乱するという、これまた漫画としか言いようがない作戦(やはりヒトラー本人が熱烈に「いいね!」した作戦。厨二か!)を敢行。『バルジ大作戦』で米軍を大混乱におとしいれました。米軍の軍服で化けてる時に正体がバレるとハーグ陸戦条約違反につき速攻で銃殺なので、その下に本来のドイツ軍の服も重ね着していた、というエピソードもあるんですけど、米軍のもナチのも軍服持ってて着てたヲタクの立場から言わせてもらうと、それちょっと無理あるかも。キツすぎて。本当かよ!?と思わんでもない話ですが、とにかく、この事実(?)はちょっと覚えといてくださいね。
さらに漫画おじさんスコルツェニーの漫画チック大活躍は戦後も続きまして、イタリア・ドイツ降伏後、戦後に入ると、枢軸側とも親しかった中立国スペインの独裁者フランコ総統の庇護下に入り、または新ナチ国アルゼンチンの独裁者ペロン(『エビータ』の旦那ね)の庇護下に入って、武装親衛隊の戦友会の幹事みたいな役を買って出るんですが、実は逃亡ナチ戦犯を手助けし、かつ、世界の反共政府の軍事コンサルみたいな仕事までしたんです。『オデッサ・ファイル』とか『ブラジルから来た少年』とか『マラソンマン』とか、ある時代に作られた一連の潜伏ナチ戦犯モノは、スコルツェニー一派の南米ナチ残党にまつわる実話からかなりの影響を受けており、まるっきしフィクションという訳でもないんですよね。
この一部の中学生男子とかに超有名な漫画おじさんスコルツェニーなんですけど、実は、「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」では名義貸しただけぐらいしか関わっておらず、実際に汗かいたのはドイツ空軍の降下猟兵だったとも言われてます。
「降下猟兵」というのはドイツの空挺部隊、パラシュート部隊のこと。小林清志さんのナレ思い出してください。「ナチス・ドイツのパラシュート部隊が連合軍に捕らえられていたムッソリーニをイタリアから救出した」と言っているのは、まさにこの「降下猟兵」のことをさしているんです。とは言え「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」でパラシュート降下した訳ではありませんよ?前述のとおりグライダー数機に分乗しての強行着陸でしたからね。山で谷からの風が凄すぎてパラシュート降下なんて無理だったようです。
名前の中に「猟」という漢字が含まれるこの「猟兵」ですが、ドイツ語ではイエーガー(Jäger)と言い、これは英語のハンターに当たる名詞。猟兵とはもともと本職が猟師の人たちが任命された兵科でして、普段から日常的に小銃の扱いに慣れてて動く的に当てるのも得意ですから、銃のプロとして、他の一般歩兵(戦列歩兵)とは違う特別扱いをされたエリート兵科だったのです。
その昔、近代の戦闘というのは「戦列歩兵」という歩兵たちメインで戦われていました。この人たちは、横隊とか縦隊とか方陣とかのフォーメーションを組んで戦います。鼓笛隊のマーチに合わせて行進し、「前へ習え!」とか「回れ右!」とかの合図で一糸乱れぬ集団行動をとるのです。これが戦場のメインで、その「戦列歩兵」の密集陣形を切り崩すのが、騎兵とか砲兵とか(メルギブの『パトリオット』参照)、あるいは、爆弾を投げつける擲弾兵(前述)とか、この「猟兵」だったのであります。
彼らは、フォーメーションは組みません。個々人がバラバラに行動して、狙えそうな時に各自小銃で銘々勝手にパンパン狙撃します。それって普通ですよね?つまり現代の歩兵と同じ戦い方です。それが近代では普通じゃなかったんです。近代は一糸乱れぬ集団行動によるフォーメーション戦闘が普通で、こういう自由すぎる個人プレイは一部のエリート兵にしか許されませんでした。これを「戦列歩兵」に対して「散兵」と言います。本業が猟師である「猟兵」は典型的なその「散兵」として、戦場で神出鬼没の戦いぶりを見せたのでした。その名残りがドイツ語にはあって、現代戦では全ての歩兵が「散兵」になりましたが、単にエリート部隊の呼称として「猟兵」とか「擲弾兵」という言葉は残り、パラシュートで「降下」し、普通の歩兵じゃない一段上の特殊な兵科だから「猟兵」、二つ合わせて「降下猟兵」と呼んでいる、という訳なのです。
ドイツの場合「降下猟兵」は空軍に所属します。ここらへんはお国柄の違いが出て興味深いです(ヲタク的にはね)。ロシア(ソ連)の場合は空挺軍だけで独立した一軍を成します。つまり陸軍や海軍と同列ということです。英軍や米軍では陸軍に隷属し、自衛隊でも唯一のパラシュート部隊である第1空挺団は陸自に所属します。ワタクシの中学校の校舎3階からは、冬の澄み晴れた日なぞは習志野の降下訓練塔がハッキリ遠望でき、個人的には懐かしい冬の原風景です。ポワポワと白い落下傘が上がったり降りたりしてたことだなあ(詠嘆の助動詞)。
ここで覚えといていただきたいのは「ドイツの場合は空軍に所属する」ってこと。なぜなら、『鷲は舞いおりた』の主人公たち、マイケル・ケイン扮演・広川太一郎さんがアテてるシュタイナー大佐指揮下のドイツ軍コマンド部隊もまた、空軍所属の「降下猟兵」だからです。
『鷲は舞いおりた』は、アバン・タイトルで記録フィルムを使ってまで言及している、この「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」を、ものすごく下敷きにしているストーリーなのです。
「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」で作戦行動中の降下猟兵コマンド部隊。なんか楽しそうだな。一人の死者も出さなかったからね。監視役のカラビニエリからしてヤル気ゼロだし
※ここまでの写真は全てドイツ連邦公文書館所蔵
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こっからやっと本編の話!で、「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」に味をしめたヒトラー、今度は英国首相のチャーチルをさらってこい!などとアホなことを思いつく。「アホか!どうせ思いつきで言ってるだけだろ」とご立腹なのはカナリス提督という人です。いくら戦時とはいえ、他国の元首を人さらいしてくるなんて、まずマトモな国家のすることじゃありませんわな。まぁそれ言ったら大虐殺とかしてる時点でとっくにマトモじゃないんですが…。このカナリスさん、「アプヴェーア」というドイツ軍のスパイ機関のトップだった人でして、この人は内心はアンチ・ヒトラーのいたってマトモな人で、THE GOOD GERMANの一人。後にヒトラー暗殺未遂(トムクルの『ワルキューレ』のアレ)に連座して処刑されちゃうんですけど、それはこの映画から数ヶ月先のお話です。
でもメンドくさいことに、親衛隊長官ヒムラーという、ユダヤ人虐殺の元締めだった、ヒトラーの腰巾着みたいな、刈り上げメガネのオッサンがおりまして(ドナルド・プレザンス扮演)、こいつがボスのヒトラーにゴマすろうと、トップが思いつきで言っただけですぐ忘れちゃう望みもあったそのトンデモ作戦を、「真剣に研究せよ!」と本格始動させちゃいます。余計なことすんじゃねーよこの太鼓持ち野郎が!
ヒトラー総統を、超ブラック企業のワンマン創業者社長だとしましょうよ。でヒムラーという腰巾着の専務取締役がいる。こいつは社長に尻尾ふってじゃれついてナデナデされながら世渡りしてきた阿諛追従の輩。それで社のナンバー3か4ぐらいまで出世しちゃってるという困った重役です。一方のカナリスさんというのは、コンプライアンスとか一般道徳とか社会常識とかを備えていて、「ウチってブラック企業なのでは…」と内心つねづね思ってる本部長クラス。この本部長が、部長を呼び出します。それがロバート・デュバル演じるラドル大佐で、この部長というのが実に仕事のデキる男なんですなぁ!
本部長は部長に向かって、まぁ上が思い付きでそう言い出して、なんか作戦立てろって言われちゃったし、しょうがないから一応立てるフリだけしてさぁ、「検討してみましたがやっぱ無理っぽいっす」とか過大なリスク分析入れた企画書書いてさぁ、水ぶっかけてクールダウンさせてさ、この話ウヤムヤっと無かったことにしちゃおうよ、ね、と言います。正論だ!
でも部長はナチュラルボーンデキる男。一応立てるフリだけにせよ、彼が立てた作戦なら意外に勝機を見出しちゃってたりするんですな。キレ者すぎるのも考えもんだ。…案外これならイケるかも。部長ラドルさんは、企画書を作ってるうちに一人でだんだん盛り上がってきちゃって、そんな企画書が、幸か不幸か、本部長のカナリスさんではなく靴舐め専務取締役ヒムラーの目にとまっちゃって(カナリスさんは「なにちゃんとやっちゃってんだよ、真面目か!サボれよ!」とか言っていたくおかんむり)、あろうことかなかろうことか、決裁されちゃいます。
これは社長お声がかりのトップダウン案件だから。オレ(腰巾着専務)直属のプロジェクトチームだから。社長の決裁印押してあるお墨付きの白紙委任状を書面で交付するから。とか、あれこれ行け行けドンドンな甘言を一介の部長ラドルさんに向かって景気よく並べ立てる、おべっか刈り上げ専務。
部長ことラドルさんは、吸いも甘いも噛み分けてきた苦労人です。そんなんで今さら仕事に夢見ちゃうほどウブなネンネじゃありませんけど、成功確率はゼロではない。ならば据え膳食わぬは軍人の恥と考える漢。万が一にも成功させられたら、ヒト一人拉致ってくるだけで何万人がさらに死ぬかもしれないこの世界大戦に幕を引ける。軍人としてこれに勝るホマレはない。失敗したらしたで、一死大罪を謝すあるのみ。どうせ詰め腹切らされるに決まってるんだから、と、そこまでの覚悟を決めて、デキる部長ことラドル大佐はこの「鷲作戦」を推進するのでした。
実はワタクシ、何を隠そう広川太一郎さんがアテたマイケル・ケインの主人公より、鈴木瑞穂さんがアテてるロバート・デュバルのこのラドル大佐の方が好きでして、なんというか、サラリーマン・組織人の悲哀を強烈に感じさせるキャラだからなんですなぁ。そして、
「やはり」
というラドルの劇中最後の台詞こそ、ワタクシのマイベストふきカエ名台詞でもあるのです。このたった一言に万感がこもっていて、ラドルの語られざる心情、言外の想いが、この一語から百千倍のビッグバン的膨張をもって胸中に広がってくるのであります。皆様、ゆめ「やはり」の一言をお聞き逃しなきように!
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ところで、戦争映画を見る楽しみのひとつに、“インシグニア・リーディング(徽章読み解き)”とワタクシが独自に名付けている遊びがあるんですが、今回はせっかくの機会なんで、ためしにラドル大佐の勲章を読み解いてしばらく遊んでみましょうか。
ラドルの制帽のパイピングと(この写真には写ってません)、襟章のローマ字「II」を横に倒したような銀糸デザイン(ドッペルリッツェン)の内側の細線と、肩章の縁取り(この2つはバッチリ写ってる)の色は、グリーンです。この色のことを「兵科色」と言い、どういう兵科の軍人さんか(歩兵か戦車兵か工兵か、などが)、見れば一発で判るようになってます。とは言え、グリーンと言ってもドイツ軍だと薄緑〜濃緑まで数種類あるんで、それだけで見分けるのは至難の技。ラドル大佐の場合だと、右袖と制帽に「エーデルワイス章」が付いているので(写真には写ってません)「山岳猟兵」であることがそれで判り、何色かある緑系兵科色の中でもラドル大佐のグリーンは「Jägergrün(イエーガーグリュン、猟師緑という緑色)」であることも、逆算的に特定できるのです。
右胸ポケットフラップ上には鷲の国章が。これは勲章ではなくて功なき誰であったとしても制服に縫い付けるのがルールです。陸軍と親衛隊と空軍で鷲のデザインが微妙に違います。反対の左胸ポケットフラップ上には横長の「銀色白兵戦章」を佩用しています。戦車などの助けなしに銃を持った人間だけで何十日間か戦い抜くともらえます。左胸ポケットの上からピン留めしてる楕円形のは「銀色戦傷章」。四肢欠損や失明などの戦傷でもらえます。ラドル大佐は隻眼隻腕。もしかしたら何十日間もの白兵戦を敢闘する中で、片手と片目を失ったのかもしれませんね。
喉元には「騎士鉄十字章」を「綬(リボン)」でブラ下げてます。これこそ一般軍人が授与されうる最高位の勲章!全ドイツでたった7000人ぐらいしかもらった人はいません。これを首からブラ下げていたら即・英雄です(と、少なくともナチス・ドイツにおいては評価される内容の活躍をした)。
胸の第2ボタンのボタンホールには2種類のリボンが通されてます。下は「東部戦線従軍章」リボン。その上は「二級鉄十字章」リボンで、これはまずまず英雄っぽい戦場働きをした人がもらえる勲章。これをもらうと次が一級でして、左胸ポケットの「銀色戦傷章」の隣にピン留めされてます(この写真では影になっていて見えません)。二級・一級の2つをコンプリートした人じゃないと、先の騎士鉄十字章はもらえないのです。
左袖には「ナルヴィク・シールド」という金属製の「盾章」が縫い付けられてます(写ってない)。これは1940年、ドイツ軍が北欧ノルウェーに侵攻した際の「ナルヴィクの戦い」という激戦に参加したことを表してます。ドイツ軍山岳猟兵はこの戦いで厳しい包囲戦に耐え抜きました。
つまり、ラドルが北欧からロシア戦線へと転戦し(アフリカにもいたっぽいことが別のシーンの服装から判る)、そこで赫々たる武勲を打ち立ててきた歴戦の勇者であることが、この“インシグニア・リーディング(徽章読み解き)”の作業から浮かび上がってくるのです。原作読めば文字で説明があるのかもしれませんけど、ワタクシ原作は読んでおりませんのと、読まなくても大体そこまでは察しがつくというのが、ヲタク的には無性に楽しいのであります。劇中に台詞で説明がなくたって、徽章が読めればそれぐらいのバックグラウンドのキャラ設定を追加情報として仕入れられる、というマニアックな作りに、ちゃんとした戦争映画なら必ずなってるものでありまして、これっていうのは意外にれっきとした正統派の戦争映画鑑賞法だったりするのです。
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閑話休題。部長ラドル大佐は作戦立案の責任者。史実の「ウンターネーメン・アイヒェ(柏作戦)」ですと“まるっきし漫画だよオジサン”ことオットー・スコルツェニーに当たる役回りです。で、現場指揮官を誰に任せようかという本部長ことカナリス提督からの質問に、同階級のシュタイナー大佐をラドル大佐は推挙します。この人が史実ではムッソリーニの身柄を奪還した降下猟兵の現場指揮官に当たる役回りで、広川太一郎さんがアテてるマイケル・ケイン演じるところの主人公なのであります。やっと主人公の話まできた。でもここからは超駆け足で。
肩章を見てください。シュタイナーの兵科色は黄色(降下猟兵)です。首から綬で騎士鉄十字章をブラ下げているのはラドル大佐と同じですが、その上にさらに小さな金属パーツがくっ付いてるのが見えるでしょうか?柏の葉っぱとブッちがいの剣2本がデザインされたもので「柏葉剣付騎士鉄十字章」といい、受章者はたったの160人しかおりません。まさに、英雄の中の英雄ということが一目で判ります。
とはいえナチの高級将校ということで、観客として応援していいかどうか首をかしげる立ち位置の主人公ですが、100%応援したくなるキャラ設定鮮明化のためのエピソードを、登場シーンとしてこの映画は劈頭に持ってきてます。
ものすごくアウシュヴィッツ・ビルケナウと外観が似てる「東ポーランド補給駅」なる引き込み線の駅で、無数のユダヤ系一般市民が別の路線に乗り換えさせられています。おそらくは絶滅収容所行きの死出の貨車にすし詰めにされようとしているのでしょう…。そこで一人の痩せ細ったユダヤ女性が逃走をはかる。シュタイナー大佐は彼女を助けようとします。が、武装親衛隊(SS)の鬼畜将校が逃げようとする女を射殺する。シュタイナーと部下たちと武装SSの間でモメ事が起こり、そこに武装SSの大将がやって来ます。
武装SS大将「身分姓名を名乗れ」
シュタイナー「クルト・シュタイナー大佐。特別パラシュート部隊指揮官」
武装SS大将「敬礼せんか!私は将軍だぞ。それとも貴様、親衛隊を侮っとるのか!?それなら今の軽率な行動も説明がつく」
シュタイナー「私はユダヤ人に対して好意も敵意も抱いてはおりません。しかし今のは誇りある軍隊のやることではない!あなたの部下は面白半分に女を射殺した」
武装SS大将「彼は当然の義務を果たしたまでだ」
シュタイナー「そいつの陰険さは塹壕で我々の靴に入り込んでくるヒルと変わりがない!血の臭いを好んで忍び込んでくるんだ。これから先も閣下がこういう薄汚い部下を指揮下に置かれるおつもりなら、間違っても彼を部隊の風上には配置しないことですな!もっとも閣下に悪臭を嗅ぎ分けられればですが!」
(翻訳:飯嶋永昭)
言ってやりましたね広川さん!!!って感じですな。溜飲下がるわぁ!思わず力強くうなずきながらのガッツポーズですよ。このシーンのおかげで以降、心置きなく主人公シュタイナー大佐に全面的に肩入れしながら、ドラマに没入できるようになります。
このシュタイナー大佐率いる歴戦のドイツ空軍降下猟兵コマンド部隊が、ラドル大佐が立案した作戦にのっとって、自由ポーランド軍(連合軍側。ポーランドがナチスに滅ぼされたので亡命軍がロンドンにいた)空挺部隊のユニフォームで偽装し、イギリス東海岸のノーフォークに落下傘降下。その海辺の片田舎でチャーチル首相が休暇を過ごすという情報をキャッチしたので、そこを襲って拉致してこようという作戦です。いやはや、最後の最後で本編あらすじの紹介までたどり着けた!
この『鷲は舞いおりた』、娯楽アクション映画の名匠ジョン・スタージェス監督最後の作品でもあるんです。『OK牧場の決斗』とか『荒野の七人』とか『大脱走』とか、誰も文句のつけようもない、戦後アメリカ映画史に燦然と光り輝く100点満点の娯楽大作を撮り続けてきましたスタージェス監督ですが、個人的にはワタクシ、この作品、前記3作品に比べたら小品ですが、これが圧倒的に一番好きです。『大脱走』よりも好きですね。
生真面目ドイツ人の中でもデキる漢たち、ラドル、シュタイナーご両所の精励恪勤っぷりが、プロジェクトX的な感動を呼びおこすからです。これはネタバレでも何でもありませんけど、結局この作戦は失敗に終わります(だってチャーチルがナチに拉致られる訳ないでしょそれは!)。つまり、この物語は“失敗したプロジェクトX”なんですな。そうであっても、漢たちの仕事に真剣に取り組むひたむきさ、そこにかける漢の矜持を見ていて、猛烈に燃えてくるのであります!こういう見方は、自分自身がサラリーマンになって改めて見直した時に発見しました。
そしてまた、名誉を重んじる騎士的な漢、それもある意味では漫画チックかもしれませんけど、そういう善役の気高き主人公が、良い意味で恥ずかし気もなく照れもなく、真っ向から騎士道的にふるまい、「諸君と共に戦えたことは、最高の名誉だった」なんて決め台詞をカッコよく吐けて、ザッと足音高く敬礼し合う、みたいな、今ではもう失われてしまった、かつての古き良き戦争映画の魅力の精華みたいなものが、この映画にはあるのです。その魅力にはワタクシ、最初に見た子供の頃から、男の子としてこの歳までずっと憧れ続けてきたのであります。アメリカ映画がベトナムでのトラウマを描くようになって以降、こういう清々しいまでの英雄的戦争映画は次第に流行らなくなっていってしまったのですが、いゃ~昔の戦争映画って、本っ当にいいもんですね!それではまたお会いしましょう。
追伸:誤解なきよう最後に言っときますけど、我々ミリヲタとか戦争映画好きとかガンマニアとか軍服コレクターとかは、逆に、人並はずれた戦争嫌いという傾向が一般的にあったりします。興味関心がある分、実際に戦争でどれほど悲惨な状況が繰り広げられるかそこそこ具体的に知ってるからで、だから平和主義者・反戦・非戦論者にならざるをえないのです。重度真性ミリヲタ兼平和主義者として一番のビッグネームといえば、ご存知・宮崎駿監督。ああいう傾向は多かれ少なかれミリヲタという人種にはあるものなんです。戦争反対!
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