「会社が請け負った全ての作品のハンドリングを1人でしていた時期もありました」吉田啓介さん:吹替キングダムインタビュー第2回(全4回)

「ふきカエル大作戦」時代のコラムでお馴染みの吉田啓介さんに、Mr.ふきカエルが、吹替えにまつわる様々な、あんなことやこんなことを伺いました!
さらに、「吹替キングダム」のXアカウントから募集した、皆さんの質問も吉田さんにきいちゃっています!
 
超ロングとなったインタビュー、第2回目です、どうぞお楽しみください!
 


今回は吉田さんが担当としてのお仕事をスタートした入社当時のお話しと、『ロード・オブ・ザ・リング』についての貴重なお話しです!


 
Mr.ふきカエル:はい、皆様、インタビューの2回目です。ゲストは引き続き、演出家・吉田啓介さんです。
今回は吉田さんご自身について伺います。
演出家になる前は、「担当」というお仕事で、テレビ局を駆け回っていた。ということなので、まずは吹替え制作における担当とは、どんな仕事かを教えてください。

 
吉田さん:吹替えって、翻訳者から始まって、演出家がいて、ミキサーさん、音を録る人ですね、技術のスタッフがいて、で、もちろん大元には発注する側のプロデューサーがいるんですけど、それに当てはまらないものは全部制作担当が引き受けるという。言わばプロデューサー補でもあり、予算やスケジュールの管理をやるのと、ある部分ではディレクターの補佐、アシスタントディレクターですね。役者さん周りのあれこれとか、台本を印刷に出すとか、そういった進行的な側面もあります。
あとは、全体を俯瞰して、足りなそうなところを手当てして回るみたいな、つまりは「何でも屋」です。
 
Mr.ふきカエル:吹替え制作の中で一番大変な仕事なんじゃないですか?
 
吉田さん:そうですね、スケジュールの管理、 それは役者さんのスケジュールと、それから翻訳者さんのスケジュールと、スタジオのスケジュールと、どこをどう調整して、うまくはめ込んでいくかが一番メインですかね。
 
Mr.ふきカエル:実際の現場監督みたいな感じですね。
 
吉田さん:ほんとにそうですよ。
 
Mr.ふきカエル:この制作における「担当」という役割の人がいないと、吹替えの制作っていうのは回らないっていうことですね。
 
吉田さん:ほぼそうなりますね。逆に言うと段取りがメインの仕事なので、収録当日になるとあんまりやることがないんですよ。
一応現場には行きますけど、現場はもうディレクターに任せますし、音周りのことはミキサーさんや技術のスタッフがいますから、そこまでの段取りをどういう風につけて、ということが一番大きいですね。
 
Mr.ふきカエル:担当されてた頃は、どの局の洋画劇場を担当されていたのでしょうか。
 
吉田さん:時期にも寄りますが、私のいたグロービジョンさんは、もう40年前、 85年からですけど、まだその頃は小さいプロダクションで、 そんなにたくさんの仕事をしていなかったんですよね。当時、東北新社さんが最大手でたくさんやってらっしゃいましたけど、グロービジョンはディレクターも三人、スタジオが二つだったかな。で、そんなにあれこれ手広くやっていなかったので、 時期的に五年ぐらい、私ひとりで全ての作品のハンドリングをしていた時期もありましたね。
 
Mr.ふきカエル:その頃は、洋画はもちろんでしょうけど、テレビシリーズとかもですか。
 
吉田さん:テレビシリーズもです。最初にやったシリーズが、『マイアミ・バイス』(『特捜刑事マイアミ・バイス』1986年から1988年テレビ東京にて放送)という、テレビ東京の作品が最初じゃなかったかな。
テレビ東京で『マイアミ・バイス』、テレビ朝日で『ナイトライダー』(1987年から1990年テレビ朝日にて放送。『新ナイトライダー』も含む。)ですね。
 
Mr.ふきカエル:『刑事コロンボ』は担当されていましたか?
 
吉田さん:『刑事コロンボ』は、私が入った時は初期のシーズンは終わっていて、もうコロンボの声をやっていた小池朝雄さんも亡くなられていました。
しばらくして、新シリーズを日本テレビで始めたのが、ちょっと正確な時期を覚えてないんですけど、多分 90年(1993年初回放送)、そこからはがっつりやっていましたね。
 
Mr.ふきカエル:石田太郎さんをコロンボ役に選んだのはどなたでしょうか?
 
吉田さん:石田さんは小池さんの後で何度かジーン・ハックマンの吹替え等を演じられていたんですよね。確か劇団昴で小池さんが先輩じゃなかったかな。
声質も似てますし、「後任は太郎さんで」というのはみんなの頭の中に実はあったんですけど、 いきなりそこに行っちゃうのはどうなんでしょうみたいな話も出てまして。小池さんもたくさん声の仕事をやられていましたけど、メインは俳優カテゴリーの方だったので、「その方面で次の方いませんかね」のような話もしつつ、でもやっぱり小池さんが演じたあのコロンボの感じが、視聴者の皆さんの耳には残っていますからね。
それで、直接的に真似してくださいとは言えませんが、あまり外れるわけにもいかない。
そういったところの注文を了解、理解していただける方といえば、やはり石田太郎さんということになりました。
 
Mr.ふきカエル:日本テレビの一本目の石田太郎さんのコロンボは、小池朝雄さんのコロンボ演技を真似されていたと思うんですよ。分からなかったですね。小池さんでなく、石田さんだということが。
 
吉田さん:野沢那智さんが犯人役の超能力者のエピソードですよね。
 
Mr.ふきカエル:本当に小池朝雄さんにしか聞こえなくて、だんだん本数を経ていくうちに、石田太郎さんの本来の演技に移るんですけど、最初の何本かは 相当小池コロンボを意識していたんじゃないかと思いました。
 
吉田さん:ご本人もやっぱりそこが一番っていう風に思ってらっしゃいましたし、こちらもね、当然それでお願いしますと。
それがだんだん演じていくと、コロンボのキャラもちょっと昔とは変わってきて、コロンボ役のピーター・フォーク自身がプロデューサーをしているので、割と座長芝居というか、彼が自由にやってるのも増えていって、その辺で変わってるかなと思いますね。NHKの小池さんコロンボの時代は毎週放送していましたけど、日テレの場合は何か月に一回っていうペースだったので、間が空くとだんだん演技も変わってくるんですよね。
 
Mr.ふきカエル:放送素材についてですが、現在はファイルみたいな感じで送られていますけど、当時はどうでした?
 
吉田さん:僕が入った時はまだフィルムです。16ミリのフィルムで。大きい、直径6、70センチのリールが四巻ぐらいあって、それと同じ大きさのシネテープ、音声の入ったテープですけど、それも同じぐらいありました。スタジオに映写室があって、そこからスタジオ内のスクリーンに映写しつつ録音するんです。それが、僕が入って二、三年でVTR、ビデオテープに変わっていって、最初は1インチという、幅2.54センチのでかいやつ。こんなでかいのに(40センチくらいの正方形のケースに入っているテープ)、一時間しか素材が入らないのですね。なのでいわゆる長尺という二時間の映画だとそれが二本になるんです、重たいの(笑)。それは放送用の素材なので、さすがに録音スタジオには持ち込めないんですよ。
再生する機材自体もすごく大きくて、実際に局で送出に使うのと同じもの。それはビデオスタジオにしかないので、録音スタジオで映す映像は、初めはUマチック、4分の3(シブンのサン)って言うんですけど、4分の3インチのカセットテープにコピーをして。それでも十分でかいですけど、家庭用ビデオデッキの倍ぐらいの機械がスタジオに置いてあって、録音スタジオではそれで映像を再生しながら、6ミリのオープンリールのテープに録るという。そういう時代が10年近くありましたかね。
 
Mr.ふきカエル:90年代に入るぐらいまで、ですかね。
 
吉田さん:それくらいまではありましたかね。その後、映像の方はVHS、いわゆる家庭用のテープが使えるようになりました。そこにタイムコードという、映像と音声を同期させるための信号を入れなければいけないのですが、家庭用のビデオデッキにはない機能なので、タイムコードが読み込める大きな業務用のビデオデッキでやっていましたね。
 
Mr.ふきカエル:その時の収録は、タイムコードの入ったビデオテープを元にしていましたか?
 
吉田さん:はい。1インチのオリジナルの素材をビデオスタジオへ持ち込んで、そこからまず作業用のコピーを取るんですね。それが初期は4分の3、後にVHSになって。そのビデオテープの中に同期信号が入っていて、6ミリの音声テープを同期させて動かすわけです。
 
Mr.ふきカエル:その頃はもう声優さんも、練習用のVHSを受け取っていた?
 
吉田さん:まだでしたね。初めのうちは、フィルムの時代はもちろんですけど、ビデオになってからも、まだ家庭用のビデオデッキってそんな普及してない時代ですから、声優さんはとにかく家では映像を観られないわけですよ。
それ以前のフィルムの時代も、スタジオに来てもらって、16ミリの映写機で回さないと観られない。だから、本番とは別にリハ日というのがあって、事前にみんなに来てもらって、そこでリハーサルだけやっていました。フィルムだと一回しか回せませんから、皆さん必死ですよね、自分の出番を観て確認するのに。
その後テープの時代になってからも皆さんに集まっていただいていましたね。ただ、忙しい方だと別の日に来てもらうってわけにもいかない時もあって、その場合はリハ本といって、当日の朝から二時間を一回観て、それでお昼から収録。
 
Mr.ふきカエル:結構すごいスケジュールですね。
 
吉田さん:それでもちゃんと、夜9時、10時には終わってましたからね。
 
Mr.ふきカエル:やっぱりプロは違いますね。
 
吉田さん:ただ映画の作りも違いましたね。昔の映画って、今みたいにガチャガチャしていなかったので。
 
Mr.ふきカエル:セリフも、作品によっては、あまりないものもありましたね。
 
吉田さん:そうなんです。加えて技術的に別録りとかもできなかった。
三人ぐらいいっぺんに喋ってる時は、今だったら一人ずつ別録りしちゃうんですけど、当時はもう一発本番で。映像に限らず、音楽の世界とかも一発録りってやってたはずですけどね。
 
Mr.ふきカエル:放送用の吹替えを作るための素材っていうのは、先ほどおっしゃいましたけど、16ミリとか1インチがあったというお話ですが、これはテレビ局からグロービジョンさんに納品されるのでしょうか?
 
吉田さん:これもケースバイケースで。基本は日本の配給会社さんが本国から取り寄せたものを、我々はテレビ局を経由して受け取るわけです。
作品によってはもう直接配給会社に取りに行ってくださいと局から言われる時もあったんですけど、ゴールデンタイムに放送するような作品だと、結構放送前から事前の告知を打つじゃないですか。「これからの日曜洋画劇場ラインナップ」みたいな、番宣っていうんですかね。
ああいうのはテレビ局の方で基本作っていたので、そのためにも先に素材は放送局の方へ納入されるケースが多かったです。
 
Mr.ふきカエル:声優さんの配役について。この吹替キングダムを見ている方はすごく興味あると思うんです。これはどうやって決まるのでしょうか?
 
吉田さん:テレビの場合はなんといってもその局の担当プロデューサーがいらっしゃいますから、その方が「この人でやりましょう」というのが最優先で。あとFIXとして決まってる人もいますよね。イーストウッドだったら山田康雄さんじゃないとっていう時代でした。これは今でもちょっとありますけどね。
そこで初めから決めてくる時もありますし、決まりの役がなくてもプロデューサーの意向で「この人をぜひ主役で使ってください」という時もありますね。作品によりますけど、半分ぐらいはそうだったのかな。
逆に、日本で知られてない俳優が主演だったり、脇役については、ちょっと候補を出してみてくださいと言われてましたね。プロデューサーの方も考えて、こちらもディレクターの案を持ち寄って、どうしようと相談して決める、というのが一番多かったですかね。
本当に稀に、例えば深夜枠とかで、そんなに大作でもない、有名な人も出てないという作品だと、ディレクターさんにお任せするから、っていうケースも中にはありました。
 
Mr.ふきカエル:では基本的に、主役クラスは、プロデューサーさんの指名が多いのでしょうか?
 
吉田さん:指名もしくは候補出しが多かったですね。
 
Mr.ふきカエル:脇役などをお任せとなると、演出家が指名するのですか、それとも作品の担当が指名するのでしょうか?
 
吉田さん:ここは演出家、ディレクターです。作品を作るのはディレクターの領域なので。もちろん予算とスケジュールは当然枠がありますけど、そこさえはみ出なければ、もうお任せしますという感じです。
 
Mr.ふきカエル:昔の洋画劇場の全盛期、80年代後半の作品では、 脇役にも、結構有名な方がいて、総勢30人以上の声優さんが参加、というような作品がよくありましたが。
 
吉田さん:贅沢な時代でしたね。でもそういう色気のあることを、わざとやっていたわけではなくて、基本は適材適所でやっていました。声優さんの、いわゆる並び、順列とか序列とかはあまり考えていなかったです。もちろんギャラの高い方は、いい役で使わないともったいないというのはありましたけど。
この後で多分話が出ますけど、『物体X』(1982年の映画『遊星からの物体X』)で、途中で死んじゃう役に納谷悟朗さんが出てきたりっていうのは割と平気でやってましたね。
 
Mr.ふきカエル:演出家さん独特の、チームというか、固定されたキャスティングのようなものはありましたか?
 
吉田さん:これは吹替えの世界に限らず、邦画でもハリウッド映画の世界でもあると思うんですけど、“何々組”のような。ディレクターにとって気心が知れている役者さんっていうのはどうしてもいらっしゃるので、そういうのはあったと思います。だから逆に言うと、主役クラスは毎回変わるけど脇の人は割と同じ、みたいな。特にシリーズだと “番レギュ”と言ってこれは今でもありますけど、その番組のレギュラーとして毎回いろんな役やってもらいますと。ある程度お芝居に幅のある役者さんを何人か、同じ曜日の同じ時間に来てもらって、その都度その人にいろんな役を振るわけです。キャスティング的にもそのほうが効率いい。
特にシリーズものだと、作品の中身を分かってくれてる役者さんが一番助かるんですよね。設定とか内容も理解しているので。ですからディレクターによっては「またこの人?」というのもありましたね。もうコロンボなんてね、毎回出演みたいな方もいらっしゃいますから。そういう方はすごく個性のある声ではなく、色んな役のできる方が多かったですね。
 
Mr.ふきカエル:ちょっと生臭い話になってしまうのですが、当時の洋画劇場の吹替え制作の、予算規模を可能な範囲でお聞かせいただけますでしょうか?
 
吉田さん:僕もあまり詳しく覚えてなくて。でも、やっぱり、時間帯によってすごく差があって、深夜の時間帯の作品からゴールデンの大作まで違いがありましたね。今は全然違う金額だから言ってもいいと思うのですが、テレビ放送用の作品ですと、100万円台後半から200万円、上が300万円を超えて、すごく豪華な作品だと400万円ぐらいの時もありました。
 
Mr.ふきカエル:300から400っていうのはゴールデンタイムの洋画枠ですね。
 
吉田さん:深夜枠とかですと200前後。ただ、やることはあまり変わらないんですよ、我々の手間としては。出演の役者さんのギャラが変動費としては大きいですね。あとは長さによります。
今は三時間の映画なんて当たり前になっちゃいましたけど、昔は長い映画が少なくて、大体90分から二時間ちょっとぐらいの間ですから、そんなに我々の手間は変わらなかった。翻訳者さんもね、 翻訳料はそんな変わらないので。やっぱり役者さんの人数と単価ですね、大きかったのは。
 
Mr.ふきカエル:例えば年間でこの洋画劇場の番組はこれだけの予算を使います、というのは局によって違いはあったのでしょうか?
 
吉田さん:年間レベルになると、もう僕らにはわからない世界ですね。僕らがわかるのは作品単位なので。例えば深夜枠だったらこのぐらいで、ゴールデンタイムだったらこのぐらいって大体の相場はありましたけど、あとはもう局の方で、これは力を入れてる作品なので、これだけ予算がありますとか。それはもうその時々でしたね。
 
Mr.ふきカエル:吉田さんの記憶にある中で、最高の予算の作品は?
 
吉田さん:後年の、劇場用の『ロード・オブ・ザ・リング』とかはまた別な話になってしまいますけど、テレビのレベルだと多分僕が担当した中で一番大きかったのは、NHKさんでやった『素晴らしきヒコーキ野郎』(1988年放送)かな。ブルーレイに入らなかった吹替版ですよね。
ささきいさおさん始め錚々たる方々を呼んで、何が一番贅沢って、頭にちょこっとナレーションが入るんですが、そこだけのために中村正さんをお呼びしましたね。オープニングのナレーションだけの担当で。
 
Mr.ふきカエル:本編に別の役で出ずに?
 
吉田さん:本編には出てません。でも、もちろんギャラを払うわけです。
NHKもいわゆるレギュラーの枠ではないですから、洋画の吹替え放送って、ある意味スペシャルな枠というか。 あれは相当制作費がかかったはずです(笑)。
 
Mr.ふきカエル:吉田さんが担当した洋画や海外テレビドラマで特に記憶に残っている作品は?
 
吉田さん:制作としては、やっぱりさっき申し上げた『マイアミ・バイス』ですね。僕が入って一年ぐらいだったのかな、初めて担当した作品で。
当時アメリカでも大ヒットしたドラマで、テレビ東京さんがとても力を入れてて。宣伝展開もいっぱいしましたし、キャスティングもとても考えてやりました。
 
Mr.ふきカエル:すごい人気でしたね。
 
吉田さん:本数も多くて、放送しただけで70何本あったのかな。本国では、日本放送終了後も続いてましたから、 吹替え版を作れなかったエピソードもいっぱいありますけど、局も力が入っていましたね。毎回予告編や、番宣のCM、30秒のものや15秒のものもいっぱい作ってました。それは自分で作っていたので思い出に残ってます。
 
Mr.ふきカエル:番宣の台本は吉田さんが書いていたのですか?
 
吉田さん:台本は書いてました。それを読むのが主役のお二人、隆大介さんと尾藤イサオさんの掛け合いでした。
 
Mr.ふきカエル:面白そうですね、すごく楽しそうじゃないですか。
あとは『ロード・オブ・ザ・リング』のお話も聞かなきゃいけません(笑)。

 
吉田さん:これはもうずいぶん後になります。2001年からでしたね。グロービジョンが日本ヘラルド映画の傘下に入った後の作品でしたが、ヘラルド映画としても超大作で、当然、力も入っていて。制作委員会の形で、松竹さんやフジテレビさんも出資されていて、すごいプロジェクトでしたね。それと今思うと本当に夢みたいな話ですけど、制作期間が潤沢にあったんですよ。というのは、アメリカではクリスマスシーズンの大作が、日本では翌春の公開だったから。最近はほとんど日米同時公開になっていて、吹替制作に時間がない状況が多いんですが、この作品は日本公開が遅れた分、じっくり制作する時間があった。完成した素材を受け取って、そこからきちんと翻訳もキャスティングもやってという風に、時間をかけて作れました。もちろん手間もかかりましたけどね。
 
Mr.ふきカエル:翻訳は難しかったのでは?
 
吉田さん:今、話題になっている「原作の改変」がどうしたってあるじゃないですか。そもそも原作を映像化した時点で、ピーター・ジャクソン監督が変えているところもいっぱいあるんですよね。でも、そこは原作ファンにも受け入れられて、納得のいく作りだったので、これだけのヒットと評価を得たのだと思います。
吹替えの面で言うと、当然原作は日本でも昔から翻訳されていて、 瀬田貞二さんという方の翻訳が日本では最も馴染みがあると思います。ただ古い作品なので、固有名詞の個所まで結構翻訳されているんです。今だったらカタカナそのままで残すような名詞も全部和訳されているんですね。
それで、これは一番、僕がやらかした話にもなるんですけど、アラゴルンという、ヴィゴ・モーテンセンが演じた役が、名前はアラゴルンなんですけど、ストライダーというあだ名がついてる。大股で、大きく歩くストライドっていう意味で、「彼はストライダーと呼ばれてる」っていうセリフがあるんです。このストライダーを、瀬田貞二さんの訳だと、「馳夫さん」。馳せ参じる、駆けつけるというような意味で、「馳せる夫」と書いて「馳夫」と訳されてる。ここからが文学と映像の翻訳の違いになるんですが、文学の翻訳って文字だけの世界ですから、翻訳したものが100パーセントじゃないですか。だから、その100パーセントで世界観を作れるわけなんですね、翻訳者の方が。でも映像作品の吹替では翻訳できるのって音だけなので、いいとこ作品の半分なんですよ。『ロード・オブ・ザ・リング』という映画作品の、映像の部分は僕らは何もいじることが出来ないですよね。残りの50パーセントである音声だけを吹替版としてローカライズする。その場合、先に出来ている50パーセントの映像部分に違和感なく合わなきゃいけないんです。そうすると、例えば“馳夫さん“って言葉が出てきても、翻訳文だけで100パーセントの世界観を作れる小説でならば、それは通用すると思うんですね。ですが映像作品だと、全体の50パーセントである音声の部分で「馳夫」という名前を呼んでも、画面には青い目の西洋人の顔が映っている。その彼に「馳夫さん」と呼びかける時の違和感というか。字幕ならまだいいんですよ。「馳せる」という字を見れば、なんとなくでも、そういう意味なんだと捉えられる。でも、音だけで「ハセオさん」って聞いた時に、これは日本語の名前としても全くポピュラーではないんですよね、「サザエさん」に出てきそうな。もちろん「馳夫」という文字も浮かばない。「なんでこの青い目の西洋人がハセオなの?」って。ここで「どこにでも馳せ参じる馳夫さんだよね」みたいにセリフで言えればいいんですけど、そこまで細かく言う尺もないので説明のしようがないんです。これはどうしようかと。
その時に、これは本当に僕の大失敗なんですけど、もう要らんことをしちゃいまして。確かにストライダーじゃわからない。でも、ハセオじゃもっとわからない。観客が皆さん原作を読んでいるわけではないですからね。どうしよう。和風の言葉、音だけで聞いても分かる言葉で、意味的にも近いものはないか。そこで僕、「韋駄天」ってどうですか?って提案したんですよ。韋駄天って言うと古い言葉ではありますけど、一応日本人でもわかる、なおかつ足の速いイメージは伝わりますよねと言ったら「それいいじゃない」となりまして。それで収録をして公開しましたら、観た方からご意見をいただいたんですね。韋駄天というのは、元々は仏教用語で、インドの神様、足の速い神様の名前、そこから転じて足の速い人を韋駄天と呼ぶようになったと。『ロード・オブ・ザ・リング』という完全にファンタジーとして構築された世界の中に、実在する宗教の用語が入ってくるのはいかがなものですかと指摘されましてね。そこは全然気が付かなくて。「おっしゃる通りです。もう一言もないです。申し訳ありません。本当に軽率でした」ってことになりまして、ソフト化するときにやっぱり変えましょう、じゃあどうしましょうとなったのですが、結局思いつかなくて。もう涙を飲んでストライダーに戻しました。
 
Mr.ふきカエル:劇場公開時の時は韋駄天だったのですね。気がつかなかったです。劇場もソフト版も両方観ているのに。
 
吉田さん:ソフト化の際に、他にも直したところがありますよ、実は。
 
Mr.ふきカエル:原作の「ゴクリ」から「ゴラム」にした理由もお教えください。
 
吉田さん:これもやっぱり同じで、いわゆる西洋的な世界観の中に、日本語の固有名詞が出てくる違和感のような部分。なぜゴラムかって言うと、彼はやたらと喉が詰まる、その時に音を立てて咳払いをする、それが「ゴラム」と聞こえるからゴラムなんですよね。日本で喉の音といったらゴクリというのはわかるんですけど、それは音の聞こえない小説の世界だからいいので、これを実際の音声に置き換えた時にゴクリって音をどう発するのか。確かに喉を鳴らすときに“ゴクリと飲み込む”とは言いますけど、実際に「ゴクリ」という音は出ませんよね。それで、ゴラムだったら咳払いとして、元の映像ではそうやっているわけですから、吹替でも同じ音を出してもらって「ゴクリ」はあきらめましょうと。そういうことでゴラムのままになりました。
 
Mr.ふきカエル:これにはクレームはありませんでしたか?
 
吉田さん:こちらも「ゴクリじゃないですか」と言われたことはありました。でももうそれはしょうがないよねと。そこは僕らとしては慣れているというか、原作を映像にした時点で、どうしても日本語で出来る限界があるんですよね。
ちょっと話は逸れますけど、ダジャレなんかもね。英語だからできるダジャレを日本語で吹替えようとすると全然別の意味になってしまう。でも、どうしようもないのもあるんですよね。僕がひとつ覚えてるのは、これは僕の仕事じゃないですけど、『ダーティハリー』の2か3で、爆弾をハリーが解除して、警察に持って帰る。上司の部屋に入ると、上司がちょうど電話をしてるんですね。で、入ってきたハリーに、受話器を抑えて「今電話してるんだ。相手は…」と言ったところで、ハリーが爆弾をゴンって机の上に置くと、上司は驚いて「ジーザス!」って言う。それを聞いたハリーは「私からもよろしく」って。要するに「今電話してるけど、相手は神様!」というギャグになってるわけですよ。でもそれ、日本語ではどうにも出来ないんですよね(笑)。
 
Mr.ふきカエル:確かにどうしようもないですね(笑)
 
吉田さん:そこはもう割り切って、「相手は?」「神様!」って言わせちゃおうって。でも日本だと普通驚いたときに「神様!」って言わないですよね。
 
Mr.ふきカエル:言わないですね。
 
吉田さん:だから西洋人が言うところの「ジーザス」という言葉が、持ってる意味が違うというか、単に驚いた時でも言うんですよね。
それを逆手に取ったギャグっていっぱいあるんですけど、日本語の中でなかなか神様って言わないし、言わせにくい。そういうのは一番悩むところですね。
 
 

 
吉田啓介さんへのインタビューはこちら
→第1回「え!って言っちゃいますよね(笑)」
→第3回「小学生の自分にお前がこの吹替版を作るんだよって言っても、絶対信じないでしょうね」
→第4回 皆様からの質問にお答えします「#おしえて吉田D」