浪川大輔も“立ち見”で観た! 不滅の名作『E.T.』製作40周年記念上映開催

ET上映会
 
 アカデミー賞受賞監督スティーブン・スピルバーグが1982年に手掛け、世界中の少年少女を虜にした大ヒット・SFアドベンチャー『E.T.』の公開40周年を記念し、去る4月22日、東京・有楽町の丸の内ピカデリー1にて、「製作40周年記念 アースデイ特別上映」が開催。上映前には、1988年にVHSリリースされた日本語吹替版で主人公エリオット少年(ヘンリー・トーマス)役を担当した浪川大輔さんと、当時の配給会社UIPで同作の宣伝を手掛けた大森敦男さん、劇中で使用されたBMX(自転車)メーカー代表の桑原崇さんが登壇し、トークショーを繰り広げました。
 
 E.T.のぬいぐるみを手に、劇中のエリオット少年と同じく赤いパーカー姿で登場した浪川さんは、「子供ながらに感動しました。実際にE.T.がいるんじゃないかと思っていました」と公開当時を述懐。「今だとデータを送って終わりですが、当時はカセットテープに声を録音して送らせてもらって、船便でしたから2週間ですね。それに尾ひれが付いて、“スピルバーグに認められた男”なんて言っていただけることがありますが(苦笑)、オーディションの結果でやらせていただくことになりました」と、小学生だった当時の吹替えキャスト起用の経緯を明かしました。「それがきっかけで吹替えのお仕事も多くなりましたし、思い出深い、大きなキャリアとなった作品です」。
 
 “徹底的にE.T.の姿を隠す”宣伝展開で、結果、配給収入100億円(興行収入換算135億円)に迫る大ヒットを達成した大森さんは、「スマホもインターネットも、SNSもなかった時代だからこそできた宣伝戦略」と話し、アメリカ公開から日本公開までの半年間を、「何だろう? 何が来るんだろう?と、期待感、飢餓感をあおることがポイントでした」と振り返りました。
 
 座席指定、事前予約が可能な今の劇場システムと違って、当時は入れ替えなしの自由席制。大森さんが「当時の丸の内ピカデリーは、日本で初めてエスカレーターを導入した、座席数1300席の松竹のフラッグシップとなる大劇場でした。良い席を取ろうと詰めかける人波がすごかったです」と語ると、浪川さんも「立ち見がありましたよね。僕も(通路の)柵のところで観ました」と明かしました。
 
 公開当時10歳だったという桑原代表は、“クワハラ”ブランドのBMXがどのような経緯で映画に使われることになったかを解説。「アメリカに輸出を行っていて、レーシングチームがあったんです。それが子供たちの憧れの存在になっていました。『E.T.』にBMXを使おうという話になったときに、たまたまスピルバーグ監督の家の前でBMXに乗っていた子供たちが『クワハラがいい!』と答えて」というエピソードが語られました。秘密主義が徹底されていて、「『とりあえず25台送って欲しい』と言われただけで、公開されるまでどういう使い方をされているか分からなかったそうです」。
 
 トークショーの締めくくりには、浪川さんが改めて挨拶。「僕はもうあのときのような声は出ませんが、素晴しい作品は、これから40年も50年も残ります。改めてこの作品の魅力に触れて欲しい、心に刻んでいただければと思います」と語り、会場から大きな拍手が湧きました。
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ET上映会クワハラのBMXに乗ってE.T.と記念撮影。(左から)桑原崇さん(株式会社桑原インターナショナル社長)、浪川大輔さん、大森敦男さん((株)ドリーム・アーツ代表取締役社長、元UIP映画宣伝部長)