- 2019.5.20
- コラム・キングダム
- 飯森盛良の吹替え考古学
※今回紹介する作品のふきカエ版は、ザ・シネマで現在鋭意捜索中とのこと。ふきカエ放送は決定しておらず、今のところ字幕放送しか予定されていません。しかし声優界の重鎮となられた羽佐間道夫さんの貴重なお話しをお伺いできる場として紹介いたします。ぜひ、お読みください!
羽佐間道夫さんが50年前の米戦争映画に出演されていた!?ので取材敢行!の巻 ~飯森盛良のふきカエ考古学番外編~
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飯森です。今回は番外編です。
ワタクシこと不肖飯森、実はザ・シネマではふきカエ以外にももう1つ、『町山智浩のVIDEO SHOP UFO 』という番組のプロデューサーも兼任しておりまして。これは、ご存知アメリカ在住の映画評論家・町山智浩さんが、ものすごく珍しい、世間で知られていないor未ソフト化で現状日本では見る方法が無い“激レア映画”をお薦めし、映画本編をお届けしつつ前後30分かけてガッツリ解説もしてくれる、という誠に素晴らしい番組です。
5月の町山さんお薦め激レア映画が『ビーチレッド戦記』。50年以上前のアメリカの古い戦争映画なのに、米軍と日本軍を五分と五分の比重であつかい、「日本兵も家族を思う普通の人たちなんだ」と当たり前の描き方をしているという、実に正しい視点で作られた反戦映画で、未DVD・BD化の超激レア作です。
当然、日本人キャストが何人も出演しているので、ためしにタイトルバックのクレジットをよく読んでみたら、驚いたことに「MICHIO HAZAMA AS CAPTAIN KONDO」の文字が! MICHIO HAZAMAって羽佐間道夫さんか!? あの声優界の重鎮の? 羽佐間さんが役者として顔出しで芝居されているってこと?
本編を見ると、確かにそう見える。たまたまザ・シネマで「ロッキー」シリーズ大特集をやっており、偶然にも羽佐間さんと接触中だったためご本人に確かめてみたら、なんと間違いないとの確答が!
町山さんから「だったらぜひインタビューして、当事者の貴重なお話を伺ってくるべき!」との指令を受け、ワタクシ飯森、1967年『ビーチレッド戦記』出演者、声優としてではなく俳優としての羽佐間道夫さんへの、インタビューを敢行してまいりました!その貴重な証言は町山さんの解説番組でも紹介しますが、いかんせん尺の制約が。そこで、全文ノーカット文字起こしバージョンを、なんとここ、ふきカエル大作戦!!の場だけで独占披露しましょう。映画の方もぜひザ・シネマでご鑑賞ください。
■出演経緯
「僕ね、この映画、全編通してちゃんとは見てないんですよ。試写会に行けなかったのかな?
日本の登場人物もアメリカの登場人物も家庭環境が全く同じというシチュエーションになっていて、それが戦わざるを得ない、っていうドラマだったと思うんですけれど、日本ではあまりヒットしなかったんじゃないかしら。
俳協というプロダクションがあって、僕はそこの創立メンバーなんですが、そこへ電話がかかってきて、陸奥宗光という、「カミソリ睦」と呼ばれた外務大臣(※)の、お孫さんか曽孫さんかちょっと分からないのですが、陽之助さんという方がいらっしゃって。
※維新の元勲で日清戦争当時の外務大臣。不平等条約改正に功績があった
その方とは知り合いだったんですが、「ちょっと来てくれないか」と言うのでお伺いしたら、「実はこういう話があって、コーネル・ワイルド(※)からアプローチがあった」と。そこで「ちょっと手伝ってもらえない?」というようなことがあって「分かりました」とお引き受けしたんです。
※本作の製作・脚本・監督・主演
オーディションをやりたがっているというので、陸奥さんの「インタナシヨナル映画」社が全部コーディネートをやってくれて、コーネル・ワイルドが来て、俳協のメンバーのアルバムを見せて、誰をチョイスするか。僕は、最初出るつもり無かったんです。というのも僕は窓口だったので。創立者なんですがみんなを代表して経営にも参加していたものですから。その立場で「うちの俳優たちを使ってもらえたらいいな」と思っていたのですが、「あなたが来た方がいいな」と言われてしまって、僕と、小山源喜さんというNHKの放送劇団で活躍された方と、寄山弘さんというずーっと東宝から黒澤映画に出てらっしゃった方、その3人でフィリッピンに撮影に行ったんです。
小山源喜さん
■フィリピンロケ
台本のこともよく解らないし、通訳1人だけ連れて行って、いきなりフィリッピンで、ルソン島から渡った所かな?「ロスバニョス(※)」という所があり、温泉地でしたね。確かルソン島からちょっと離れたところの島だったと思いますけど勘違いかな?そこに行って撮影を開始しました。
※実際にはロスバニョスはルソン島から離れておらず、島の中央部、マニラからも約50kmとほど近いところに位置している観光温泉地。広大なバイ湖の湖畔にあって、湖上にはタリム島という島も確かに浮かんでいる
劇中に出てくる温泉旅館(※)も、あれは日本じゃないですね、使ったところは。多分向こうで作ったものじゃないかと思います。
※日本軍の司令官が故郷の妻子を思い出す回想シーンで、妻が日本風の風呂に子供たちを入れている映像がある
温泉地ですからそういうようなお風呂に入る所はあるんですけれども、向こうで撮ったんじゃないかなと。僕はそこは立ち会っていないから正確なことは分からないけど、多分そうだと思います。
あと、子供が出てくる、田んぼを走ってくるシーン(※)があるんですけど、そのシーンも実は撮りきれなくて、向こうで撮っちゃおうということになった。
※寄山弘さん演じる日本兵の回想で、田んぼの向こうから息子と妻が歩いてくるシーン
あれフィリッピンの田んぼなんですよ。畦を見ると分かるのね。畦が真四角に切られた田んぼではなくて、ちょっとカーブしているような田んぼで、子供の顔を見ても分かるんだけれど、明らかにフィリッピンの人なんです。で、完成してからそこのシーンにすごく我々は違った文化を感じたので「ここはやめた方がいい」ということを、通訳を通じて言ったらば、「いや、もう日本に帰ってやる時間も無いし、そういうキャパシティもない。従って、これでいい」と。「いい、って日本でこのままやったらみんなに笑われちゃうぞ?」と言っても「日本はまだ小さな(アメリカの1/30と言ってたかな?)マーケットなんだから気にしなくていい」と言われましたね。
そういうふうに、我々も少しでも日本の文化を出そうという努力はしました。我々の力がどれだけ役に立ったのか分かりませんが。(※)
※「全出演者の献身的な努力と協力に感謝する」とのプロデューサー(コーネル・ワイルド自身)による謝辞が、エンドクレジットで特に記されている
他にも、小山源喜さん演じる大佐が自決するシーンがあって、そこに副官の僕が入っていって、見ると大佐が自決している。「そこに声をかけて入ってきてくれ」と、それしかシチェエーションが与えられてないんですよ。日本だったら「大佐っ!!」と呼びかけるのが普通なんだけれど、コーネルが言ったのかな、そういう言葉ではなくて「Oh!God!」と天を仰いで言ってくれと言うから、「それは違う」と言ったんです。そういう文化は日本には無いと。人がそういう大変な状態になっている時には、駆け寄っていって相手の名前を呼ぶか、その当時だったら階級で呼ぶか、そういうアクションが正しいんだと伝えたら、向こうも考えていましたけどね。だから、僕は「Oh!God!」とは最終的に言わなかったと記憶してるんだけどな。
自決シーンで羽佐間さんは無言
あとは、日本軍司令部の神棚に飾ってある物も変だったので、あれは寄山弘さんが全部手作りで作り直したんですよ。
寄山さんは日本独特の顔立ちでユニークな人なんですけれども、黒澤映画に出てたっていうことはコーネルも知っていたんです。“クロサワ”っていうのは向こうではすごい尊敬の眼差しで見られていたので、僕が「お前は何に出たんだ?」と聞かれた時には、黒澤なんか出たことありませんから何も言えなかったというコンプレックスはありました。
寄山弘さん
■アメリカの圧倒的物量作戦
僕はその前の週まで、野沢雅子さんと2人で、とある独立プロの、営林署の映画を撮っていたんですけど、ものすごく貧乏でね。フィルムが無いというので必要な数コマを細かく細かく撮ってたんです。そんな状況からいきなり向こうに行ったら、8台ぐらいカメラがあって、「レディー?」と言うとそこからカメラがバーっと回りだす。「スタート!」と言うと今度は明かりを少し調整し、そこで監督が椅子から立ち上がってそばまで来て「アクション」と言うまで、フィルムはずっと回りっぱなしなんです。
日本の小さいプロダクションの映画でちょっとトチったりすると、スタッフが「フィルムが無いんだよ、また山を下りないと…」って言ってね。こんな(指で16mmぐらいのサイズを作って)フィルムですよ。もう、みんな悩みに悩んでいるのを見てきましたから。
それであっちへ行って、またカメラの前でトチってしまったら「なにを悩んでるんだ」って言うんです。「カメラの前でトチっちゃってすみません、フィルムが勿体無い」と答えると、「フィルムは紙だ。紙なんだからいくら使ったっていいんだ。自分の納得いくまでやりなさい」とコーネルから直に言われた時には、「ああ!アメリカと日本、これは違うなぁ!」と感じましたねぇ…。芝居をしていて、どうも向こうの連中にコンプレックスを感じるなと思うのは、そういうシステムの中でやっている人とそうではないシステムの中の人だと、度胸の持ちようから違ってくると、その時には思いました。まぁ、極端なところから極端なところに行ってしまったということはあるにせよ。
もうひとつ「すげえな!」と思ったのは、軍隊が上陸してくるシーンがあって、それを監督のそばで見ていたら、飛行隊が数機、それはフィリッピンの軍隊が協力したものなのか詳しくは知りませんが、「スタート!」って言うと雲の向こうからブワーッとやって来るんです。で、頭上を通り過ぎて行って、「カット」「もう一回」「もうちょっと低く」「カメラのアングルに入るように低く来てくれ」と言うと、その10機が向こうを旋回してまたブワーッと飛んで来る。それを3カットも4カットも簡単にやっちゃうということに、スケールの違いを感じました。
頭上を飛行隊が何度も
あとは待遇も違いました。僕たちは新劇から出てきたばっかりの役者でしたから、いろんな意味で貧しかったんだけれども、とっても贅沢させてもらったという感じ(笑)。ランチタイムになるとトレーラーが来るんですが、ABCとあって、Aは俳優さんたち用、Bはスタッフの人たち用、Cは「ワンサ」というか「ガヤ」(※)の人たち用。クラスが分かれているのも日本にはあまり無いケースだと思いました。ちなみに僕は、Aでした(笑)。タイトルに名前が載るとA、載らないとCなんです。随分ハッキリしているなぁとは思いましたけどね。
※実写映画で言うところの「エキストラ」のこと
■絵と歌の思い出
確か最後の歌かな、あれはコーネル・ワイルドの奥さん(※)が歌ってるんです。
※当時の妻、女優のジーン・ウォーレスのこと。OPとEDで流れる主題歌Till You’re Home With Meを歌っている。コーネル・ワイルド演じる主人公の回想シーンでは、実生活と同じく妻の役で演技も披露
素晴らしい歌ですごく印象に残っています。これはヒットするなという予感がしたんですけどね、寂しい歌なんですけれども、それを彼はすごく気に入っていた。撮影中に出来上がってたんですね。奥さんは撮影に一緒に来ていて「彼女が歌ったんだ」と紹介してくれました。日本にも一回連れてきたと思いますよ。綺麗な人でした。
それと、日本人の描いた絵が出でくるはずなんです。ジャングルの中に雪だるまが1つ置かれている絵(※)、出てこなかったですか?どこかで使っているはずですよ、本当はタイトルバックにしようと思ってたんですけどね。ジャングルの中に雪だるま、それが、コーネルにとってとても不思議だったと思うんです。
※オープニングのタイトルバックでは何枚もの絵が映し出されるが、その中に、ジャングルの中にポツンと、小さな、人間のような人形のような、こけしのような雪だるまのような物がいて、生い茂る葉々の隙間から顔を覗かせこちらを見つめている一枚がある
田中さん(※)という絵描きさんがいて、たまたま日本でやっていた展覧会をコーネル・ワイルドが見て、フィリッピンの絵を描かせたいという話になり、わざわざ日本から連れていったんです。
※2014年に亡くなった洋画家・田中岑(たかし)のこと。タイトルバックに使われる何枚もの絵のうち、日本の風景のものを担当したと思われる。東京文化財研究所のサイト に詳細なプロフィールあり。米国の風景や米海兵隊の姿を描いたのはマイケル・W・グリーン。2人はTITLE BACKGROUNDS担当者として連名でエンドロールにクレジットされている
だけどコーネルは絵の出来があまり気に入らなかったのか「もうちょっとこの絵をこうしてくれないか」と言ったところ、その田中さんという人がなかなか反骨精神のある絵描きで、「こんなもん破ってやる!」といきなりナイフを持ってカンバスに斬りかかりコーネルが懸命に止めた、という事件がありましたね。トラブルと言えばそれだけでした。
■今にして偉大さが解る
『プライベート・ライアン』に影響を与えた冒頭シーン
撮影が終わってからコーネルは、僕の撮影中の写真を添えて、「自分の国ではこういう風な評判になっているよ」っていうような手紙を送ってきてくれました。
僕ね…本当のこと言うと、とても自分では恥ずかしかったんですよ、この映画。
なんて言うのかな、俳優として「違うんだなぁ…」と思い始めていた頃でね。だから、実は3年ほど前に東宝の副社長に「羽佐間さん、あれ見ましたよ」って言われたことがあるんだけれど、あんまり自分の中に自信が無かったんで「ああそうですか」と誤魔化したんです。しかしだんだん後になって、映画史の中で本当に素晴らしい作品だったんだな、と思えるようになりまして、批評なんかを見ますとノミネート(※)もされていたんでしょう?
※1967年度アカデミー編集賞ノミネート
やがてそれから何十年もたった後に、『プラトーン』、『硫黄島からの手紙』、『プライベート・ライアン』が生まれて、それを見るたびに思い出しますよね、「このカットあれの模写じゃないかな?」というところが、いっぱいありました。この映画はずいぶんと後世に影響を与えたんだなぁと感じます。
名作だということは後から気づくんです。その時にはそんな感じ方はしない。台本の内容をちゃんと読めたわけでもないし、なんか、すごく慌ただしかったんですね、パッと選ばれてすぐ呼ばれ向こうに行って、という感じでしたので。いろんな事情もあったのでしょう、経済的事情もあったでしょう。しかし最近、いろいろと情報が入ってきて「ああ、名作だったんだな」と思うようになったんです。
コーネル・ワイルドのことも最近になって「やっぱり、すごい人だったんだなぁ」と感じます。当初はただ『戦うロビン・フッド』と『地上最大のショウ』ぐらいしか見てなかったものだから、今になって思うんです。今さら思ってもしょうがないんですけど。残念でしたね、彼。亡くなっちゃったから。(※)
※1989年、白血病で死去。享年77
今、50年経って「ああ、やっぱり、やってよかったのかな」と思うに至りました。良い思い出でしたねぇ。」(終)
ザ・シネマ
『ビーチレッド戦記 【町山智浩撰】』
※放送は字幕版
放送予定:
2019年05月23日(木)深夜1:45~
2019年05月29日(水)朝8:30~
⇒ザ・シネマ作品詳細ページ
[プロフィール]
羽佐間道夫(はざま みちお)
10月7日生まれ、東京都出身。シルヴェスター・スタローン、ピーター・セラーズ、ポール・ニューマン、ディーン・マーティンの吹替えや、「スーパーテレビ情報最前線」「皇室特集」「every.特集」「ズームイン!!サタデー」「宝刀~日本人の魂と技」などのナレーションでも活躍する声優界の重鎮。無声映画の名作を、声優がその場で吹替えて現代に蘇らせ、さらに映画に合わせた創作音楽も同時に生演奏されるという贅沢なライブイベント「声優口演」の企画総合プロデューサーとしても活動中。